大奥でしばしば事件が起こったが表沙汰になることはなく、怪談となって残っている。写真はイメージ(GettyImages)
大奥でしばしば事件が起こったが表沙汰になることはなく、怪談となって残っている。写真はイメージ(GettyImages)
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 組織に不満があっても、自分や家族の生活を考えれば、そう簡単には辞められない。組織で働く人ならば、誰もが多かれ少なかれ、ストレスを抱えているだろう。それは現代に限ったことではない。江戸の武士も「家格」の上下に泣き笑い、「出世」のために上司にゴマをすり、「利権」をむさぼり、「経費」削減に明け暮れていた。組織の論理に人生を左右されてきたのである。山本博文氏が著した『江戸の組織人』(朝日新書)は、大物老中・田沼意次、名奉行・大岡越前、火付盗賊改・長谷川平蔵などの有名人から無名の同心、御庭番、大奥の女中まで、幕府組織を事細かに検証し、重要な場面で組織人がどう動いたかを記している。本書から一部を抜粋して紹介する(※一部ルビなどは追記)。

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■行方不明になった女中

 文政四(一八二一)年六月のこと、江戸城大奥で御右筆(ごゆうひつ)を務める「おりう」という女中の部屋方の女中が行方不明になるという事件があった。おりうは幕府に直接仕える直の奉公人で、彼女が自分で召し抱えるのが部屋方の女中である。

 御右筆は、大奥老女らの文書を作成する書記役である。出番(勤務に出ること)は、朝五つ(午前八時頃)と決まっていた。

 大奥女中たちは、出勤時間に遅れるわけにはいかないから、長局(ながつぼね=大奥にある女中の宿舎)の火の元を取り締まる御火(おひ)の番に「起こし」を頼む。目覚まし時計代わりである。おりうの部屋方女中も、例の通り、七つ半(午前五時)の起こしを頼んでいた。

 七つ半に御火の番は、その部屋方を起こしたが、その部屋方は、そのままどこかへ行ってしまった。夜が明けたことに気付いて相役(あいやく=同僚)の女中が起きたが、その部屋方がいない。主人のおりうも部屋方の行方不明は気になったが、五つが近づいたので、朝食も取らず、御殿向きに勤務に出た。

 それから、相役の部屋方が長局中を探して回ったが、どこにもいない。

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全身血だらけになった死体が…