数々の映画音楽を手がけた巨匠エンニオ・モリコーネ。2020年に91歳で亡くなった彼のすべてを捉えた「モリコーネ 映画が恋した音楽家」が公開される。映画の名シーンとともに、彼の人生を振り返ろう。(フリーランス記者・中村千晶)
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「彼を撮影することに、困難は何もありませんでした。まさに友人どうしのように会話をし、長いインタビューをすることができたのです」
と、監督のジュゼッペ・トルナトーレは語る。1988年に「ニュー・シネマ・パラダイス」でモリコーネに作曲を頼んで以降、多くの作品でタッグを組んできた。モリコーネ本人が「ジュゼッペが撮るなら」と本作の撮影を承諾したという。
「私は彼と出会ってから、仕事中も昼食や夕食の席でも彼を質問攻めにしてきました。映画のこと、音楽のこと、彼の人生についてです。今回、改めて彼に話を聞き、音楽家としての彼だけでなく“人間・モリコーネ”を描きたいと思いました。彼が長い人生を通じてどんな冒険をしてきたかを、音楽劇のように物語ってみたいと思ったのです」
エンニオ・モリコーネは1928年、イタリア・ローマに生まれた。幼いころは医師になりたかったが、トランペット奏者の父に音楽の道を薦められ、音楽院を卒業。学生時代に生涯の伴侶となる妻・マリアと出会い、27歳で結婚する。
作曲家を目指していたが、生計を立てるためにレコード会社と契約して編曲を手がけ、やがて映画音楽を頼まれるようになる。64年にセルジオ・レオーネ監督の「荒野の用心棒」であの印象深い口笛の音楽を奏で“マカロニ・ウェスタン”ブームを生み出した。
だがモリコーネには長年、映画音楽への葛藤があった。アカデミックな音楽界で「商業音楽」は低く見られていたからだ。
「彼には自己に対するアイロニーがありました。大きな成功を得たが、苦しんだことも多かった」(トルナトーレ監督)
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(84年)が世界的に評価されてなお映画音楽から離れようとしていたこと、「ミッション」(86年)でアカデミー賞作曲賞を逃した悔しさなども映画に刻まれる。