「AVはファンタジー」とは言われているが、実際に現場で行われているのはファンタジーではなく、リアルな暴力である。俳優が性交を演じているのではなく、被写体になった人が性交している行為が記録されている、というほうがむしろ正しい表現なのだと、私はAV被害者を支援する団体に関わることで実感している。
AVに出演したことによる被害を訴える人たちが、ほぼ全員口をそろえて言うことは「俳優としての技術は求められたことはない」というものだ。ただ自分が性交しているシーン、暴力を受けているシーンを記録されているだけという意識が圧倒的である。まさに、子どもを大人が殴り続けたシーンのように。本気で怯える子どもの顔を「撮る」ために、AVのカメラは回されている。
いま、AVに関する新法が、つくられようとしている。
きっかけは、今年、改正民法が施行され、18歳、19歳の取り消し権が使えなくなってしまったことだった。成年年齢が引き下げられることで、AV出演に巻き込まれる子どもたちが増えてしまうかもしれないという懸念の声があがり、世論が大きく動いたこともあって与党議員たちが動いたのだ。私自身、この動きにはとても期待をよせていた。
ところが、先日、与党のプロジェクトチームから提案された法案の骨子案に、衝撃を受けている。悪質な業者を排除するための細かな規則はつくられているが、最大の問題は、性交が契約に入ってしまっていることだ。つまり、性交を契約上の業務として国が認めたということになる。セックスを国が業務として認める、初めての法律でもある。AVの中でこれまで行われてきたリアルな性交は、罰する法律がなかっただけでグレーゾーンの状態で行われていた。そのことに、今後は国がおすみつきを与えることになる。
改めて、AVとは何だろう。
そんな思いにかられる。なぜ、性交を演じる、のではなく、「リアル」が求められなければいけないのだろう。妊娠や性感染症のリスクもある。今ある「売春防止法」にだって抵触する問題もある。AVが「作品」であり「表現物」だというのならば、なぜセックスを「演じる」のではいけないのだろうか。
水原希子さん、さとうほなみさん主演の「彼女」(Netflix)で、日本で初めてインティマシー・コーディネーターが起用されたことが話題になっている。性的なシーンを撮るときに、監督の意図、そして俳優の許容範囲などを丁寧に探り、監督と俳優双方の合意を得る仕事だ。撮影時にも、撮影人数を制限するなどの配慮をし、環境づくりをするともいわれている。俳優の人権、俳優のバウンダリー(身体、精神的に、許容できる境界線)を尊重することが、今、世界の「表現」界では求められている。物語に必要ではないのに、過激なセックスシーンをあえて入れる、女性の裸体を必要以上に露出させるような「演出」、女優に過酷な性的表現を強いるような表現物にセンシティブであろうとしているのが、今の流れだともいえる。