元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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とんでもないことをしでかしてしまった。
あろうことか夕食用のジャガイモの煮物を火にかけたまま外出。焦げ付いたイモの煙に気づいた隣の方の119番で間一髪火事に至らなかったものの、それは多くの方の機転で得られた幸運でしかなく、「うっかり」で済まされるはずもない。何かあれば取り返しがつかなかった。考えただけで震えが止まらなくなった。
なぜこんなことに。振り返れば、ずっと締め切り原稿で頭がいっぱいで、気もそぞろだった。要するに慢心していたのだ。人様に何かを発信するうちに自分の「正しさ」ばかり考えるようになり、浮き足立っていた。なのにそれに気づこうともしなかった。生きていく上でまず大事なことは、人を唸らせる文章を書いたり発言したりすることじゃない。最優先すべきは「火事を出さないこと」だ。人様の生活や命を危険にさらさないよう努力を尽くすことだ。そんな当たり前が全くわかっていなかった。それで正しい事を言うとかありえないだろう。でもそれが私だった。
そして、人の助けと情けがこれほど身にしみたことはない。隣の方始め、消防や警察の方の機敏な判断と行動で首の皮一枚で救われた。怒鳴られて当然なのに、怪我がなくて何より、お互い気をつけましょうと言ってくださった大家さんや近所の方々の優しさよ。酒屋のおかあさんは「怖かったでしょう」と肩に手を置いてくださった。その手の温かさ。そう私は自分が怖かった。同じ酒屋のおとうさんは「おじちゃんはいつもバイクに乗るとき、よし今日も絶対事故を起こさないぞって自分に言い聞かせているよ」と教えてくれた。その全てを一生忘れない。皆様こそが正しく偉大なのであった。
私はこれからどうするべきか。
今の私は何かが間違っているのだ。おそらくは人生の目標が。朝起きたら、その日を無事に過ごすのだと自分に言い聞かせること。外出時の火元の指差し確認。そして人に優しく。それを日々やりとげることが全てなんじゃないか。
◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2022年5月16日号