人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、軽井沢について。
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ゴールデンウィークを軽井沢で過ごした。東京から車で往復。四月二十八日に出かけ、五月六日の連休の谷間に帰ってきた。一日ずらしただけで全く渋滞などなし、人の少ない時期を選ぶカンだけは冴えている。
旧軽の愛宕山の麓に、仕事場としての山荘がある。普段は新幹線で一時間ちょっと、駅前に小さな車を預けてありおよそ十分、歩いても三十~四十分の距離だ。
明治期、欧米の宣教師が夏を過ごすために拓いた。第一号として残るショーハウスなどは板張りの簡素な佇まい。私の山荘もそんな中にある。
政財界の大物が、豪華な別荘をつくったのは大正に入ってから。もともとは宣教師や日本に駐在する外国人がつくった質素で美しい避暑地だった。
軽井沢銀座には、日本中から外国人が集まり、ブティックやインテリアなどの店々が軒をつらねていた。今も茶色く変色した写真が土屋写真店に残る。私が好きだったレース店は、一昨年店を閉じた。
時代とともに変化するのは致し方ないが、昨今の銀座ではただ若い人がぞろぞろと歩いたり、テレビで紹介された食べ物屋に列をつくったりと、まるで様がわりした。一本横にそれて林道に入れば、誰も通らぬ朽ちかけた古い山荘を静寂が包み、落葉樹の高い梢の上を渡る風が囁いているのに聞こうとしない。
もったいない。あの町中の雑踏では人の背中しか見えないが、小径で立ち止まれば、カラ類やゲラ類、渡りの途中で翅を休める珍しい鳥にも出会えるし、リス、狐、狸、テン、カモシカも当たり前にいる。奥には猪や熊などが息を潜めている。桜が散って、山吹とレンゲツツジが咲いている。
銀座の中ほどにあった松葉タクシーはもとは貸し馬屋。そこから馬で林道に分け入った愉しみは忘れがたい。
明治期にカニングハム家のあった私の山荘は、今も用水を溜めた石積みの塔が入り口で当時を物語っている。
軽井沢は観光地ではない。人々が、動植物が生活する場だからこそ、意味がある。