「原発事故前から、原発推進官庁の経産省の中に原発の安全性を審査する機関があるのはおかしいとの批判が国内外からありました。経産省の人事異動で同じ官僚が推進する側の資源エネルギー庁と、規制する側の保安院を行ったり来たりしていました。保安院の院長は原子力について何も知らない素人で、事故の時にも何の説明もできず、保安院はまったく機能しませんでした。これではまともな規制ができるはずがありません。この反省に基づいて、原発の規制部門を経産省から完全に切り離したのです」
規制委は環境省の外局として新設された。大臣の指揮や監督を受けない、独立性の高い「3条委員会」という位置づけで、その事務局に規制庁が置かれた。また、規制庁に出向した官僚は経産省や文部科学省の原子力に関係する部署には戻れない「ノーリターン・ルール」もつくられた。
■トップ5すべて経産省出身者に
元全経済産業労働組合副委員長の飯塚盛康氏がこう語る。
「規制庁の発足当初は、片道切符と言われていました。経産省内で異動の希望を募ったのですが、志を持った職員もいる一方、これまでの推進の立場と逆になるわけだから相当悩んで行く職員がほとんどでした。地方局や原発の駐在員として全国を転々とすることもなくなると言われ、それならばと移った職員もいます」
だが、設立から10年が経過し、せっかくの仕組みが骨抜きにされているという。規制庁の幹部には当初、警察庁や環境省出身者が就くことが多かったが、昨年7月の人事で長官、次長、原子力規制技監のトップ3が初めて経産省出身者で占められたのだ。就任会見でそのことを問われた片山啓長官は「そういう年次の人間がたまたまその3人だったということ。今後の行動を見て判断してほしい」と語った。前出の松久保氏が語る。
「トップ3に緊急事態対策監と核物質・放射線総括審議官を含めれば、トップ5がすべて経産省出身者で、どう考えても行きすぎです。ノーリターン・ルールも形骸化し、原子力部門ではない部署を1カ所経由すれば、また推進部門に戻れるようです。事例がどのくらいあるかは不明ですが、そういう迂回ルートがあるのは事実です」