劇団四季を退団後、「相棒Season20」や大河ドラマ「青天を衝け」などドラマでも活躍する石丸幹二さん。音楽の道に進むつもりだった石丸さんが、ミュージカル俳優となったきっかけを明かした。
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■鼓笛隊での感動体験が原点
幼い頃からピアノを習っていた石丸さんが、音楽が生み出すエネルギーを肌で感じた“本当の音楽体験”をしたのは、小学校高学年のときだった。
「鼓笛隊で、学校の先生から『スネアドラムをたたいてほしい』と言われたことが始まりで、最初は、割と軽い気持ちでやっていました。でも、いざ運動会で演奏することになったとき、マーチングが鳴っている中で、選手たちがものすごい力を発揮しているのを感じたんです。その熱のこもったプレーに、僕たちも興奮したし、グラウンド全体にエネルギーが溢れていくのがわかりました。それで、『音楽って、誰かに力を湧き上がらせる、その手助けになったりするのかな? それなら、これからも、いろんな音楽を演奏していきたいな』と考えるようになったんです」
当時からステレオをいじるのが好きで、浴びるように音楽を聴いていたものの、「楽器やステレオのメカニックな部分に惹かれているのかな?」と漠然と思っていた。
「それが、音楽が生み出す熱狂や興奮を経験したことで、もっともっといろんな音楽を“体験”したいと考えるようになった。オーボエを吹いたときは、クラシックのオーケストラの中に入ることも夢想しました。音楽が自分の仕事になったらどんなに幸せだろう、と」
本人曰く「能天気な性格」。10代の頃は、「なりたい=なれる」と単純な発想のまま高校も音楽コースに進み、東京音大ではサックスを専攻した。ところが、大学3年のときに声楽に目覚め、東京音大を中途退学して、東京藝大の声楽科に進む。人生最大の転機は、その藝大時代に訪れた。
「藝大で、世界3大テノールの一人であるプラシド・ドミンゴさんの公開講座が開かれたんです。彼の第一声──間近で、世界トップの歌声、世界トップの声の艶を浴びたときに、ものすごく感動して、同時に打ちのめされました。それまでは、『オペラ歌手になりたい』と思っていたのですが、いくら頑張っても、この体格では到底追いつけない。それは、“挫折”というよりは、初めて己を知ったような体験でした」