■小学校からいじめに
青木:その時はどうお感じになっていたんですか。
和田:やっぱり嫌でした。さらに嫌なのは、小学校を6回転校しているんですけど、6年間ずっといじめられていたんです。
青木:転校は自分の意思だったんですか。
和田:親の仕事で。結局は小学生だから、いじめといっても、からかいや冷やかし程度だったんです。そのとき自分はすごく勉強ができたから、「こいつらはひがんでるんや」って思えたんですね。
青木:すごい。自己肯定感が高いんでしょうかね。
和田:自己肯定感というか、母親が「お前は賢いからいじめられんねん」みたいなことを言うような人だったからよかったんです。だけど、灘に入ってからは勉強しなくなって。最初は成績が上から5番で副級長になって、みんなからちやほやされたけど、成績が下がると目に見えてばかにされる対象になるわけです。
青木:あー。
和田:自己肯定感が低いときにいじめられるわけだから、きついですよ。
■傷つくものは傷つく
──誰にどんな状況で言われるかによって、いじられたときに抱く感情が違うようですね。
青木:お笑いの世界では、嫌いな人をいじることがあまりないと思います。ただ、きつかったのは、視聴者の方。街に出るとテレビと同じように、と言っても全然違うんですけれど、お笑いの技術も愛情もなく私はいじられました。私が黙っていると、「何にも言わないんだ」みたいな感じになるんですよね。それをどこまで我慢するか、すごくストレスになりました。当時、外に出なくなりましたね。
和田:そうだったのですね。
青木:いじりといじめの境界線はどこにあるのでしょうか。
和田:そこは難しいです。僕の印象ですが、いじるとかいじめるとかいうのは、いじる・いじめる主体側がどう思っているかが大きいと思います。
青木:受け手側ではなくて?
和田:例えば、お笑い芸人が青木さんをいじるときに、いじったほうが青木さんはウケるだろうと思っているのであって、いじめていると思ってないでしょう。