浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
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 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

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 5月11日に日本の「経済安全保障推進法」が成立した。「経済安全保障」とは一体何だろう。様々な定義があちこちから提示されている。だが、何とも判然としない。

「経済安全保障」は「経済の」安全保障なのか。「経済による」安全保障なのか。上記の「経済安全保障推進法」は、その正式名称が「経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律」である。この名称からすれば、「経済安全保障」は明らかに「経済による安全保障」だ。これで本当にいいのか。

 安全保障は基本的に軍事外交上の概念だ。このような概念のために経済を手段化していいのか。筆者には強い違和感がある。経済の円と安全保障の円が重なる部分が経済安全保障領域なら、そこには何があるのだろう。何かがあっていいものだろうか。

 第2次世界大戦が終結した時点で、国々は、二度と再び、経済取引と経済関係の世界に戦略性を持ち込まないことを誓ったはずである。領土拡大のために経済同盟を締結する。天然資源確保のために経済協定を取り交わす。市場の囲い込みのために経済連携関係を形成する。こうしたやり方が排他的経済ブロックの出現につながり、この展開が武力衝突をもたらす緊張関係の温床となる。この道には決して再び踏み込まない。そう決意したはずである。

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