「テレビの中の自分の面白さ」を語った修造の言葉を総合すると、「笑われているのではなく笑わせているのだ」ということになる。しかし、修造のおもしろさはやはり「笑われる」ところにある。たとえば、芸能人にテニスを教えるというバラエティーの企画。修造は、唐突にピンク・レディーの「UFO」を踊らせ、その振りがテニスのストロークにつながると言う。この部分は、まさに修造が「自分に何が求められているか」を熟考したうえでの「サービス」である。しかし、こうしたサービスの部分がおもしろいのではない。おもしろいのは、そのときに修造がはいているピシッとプレスのきいた真っ白い短パンなのである。こいつ短パン何枚持ってんだ。たとえば、の話であるが。
松岡修造の基本的なおもしろさは、ウィンブルドンのセンターコートで、ゲーム間の休み時間もものすごい形相を崩さずに、そのままの顔でドリンク飲んだりバナナ食ったりしてたところや、ハチマキに日の丸振り回して伊達公子の応援をしていたあの姿にある。修造がいくら自分の役割分担を考えてそれに沿ったところで、素材の力にかなうわけがない。ものすごく褒めているように聞こえるが、要するに天然の支配からは抜けられないということなのだが。
もう十数年前のことであるが、青山を歩いている松岡修造を見たことがある。まだ現役で、逆に今ほど顔が知られていなかったわけであるが、人込みの中、ものすごく目立っていた。あきらかにけた外れにかっこいいのである。松岡修造だからということではなく、そのオーラのせいでみんな振り返って見てしまうほどであった。でも、今となってはその無意味なかっこよさが笑いの重要なポイントとなっているわけだが。無駄でしょう。
(初出「週刊朝日」2001年8月3月号)