90年代後半「GID=性同一性障害」という言葉がメディアをにぎわした。2004年には性別変更の特例法が施行されたこともあり、多くのトランスジェンダーの人々が「治療」をはじめた。Aさんも国が方向を定めた「治療方法」にのっとって手術を受けた。子宮と卵巣を取り、胸を切除し、ホルモン治療でひげを生やしたのだ。
Aさんをはじめ、あの頃20代で治療を受けた「最初の世代」が、中高年期にさしかかっている。大変な20年間だったと想像する。「前を歩いている人」があまりにも少ないからだ。例えばAさんは、長い間、更年期の女性と同じ症状に苦しめられてきた。めまいや火照りがひどく、今は女性ホルモンをわずかに投与する治療を受けている。長期のホルモン治療が身体にどのような影響を与えるのか、平均寿命は「女性」と同じなのか、自分の身体のことなのに分からないことは多い。
今回私は初めて知ったのだが、治療を受けた人が全員性別変更をするわけではない。むしろしない人のほうが多かった。なぜなら「診断」は下りたが、手術をするには経済的な負担があまりにも重いからだ。さらに以前は、性器の写真を提出することを求める裁判所があるなど人権侵害も甚だしく、心理的なハードルも高かった。そのAさんが50代になって「性別変更」を求めたのは、パートナーとの老後のことを考えてのことだ。戸籍上の女と女での生活では、二人の関係を保障するものは何もない。同性婚成立を待ちたい気持ちもあるが、先のことを考えると不安が募ったのだという。
結論からいえば、Aさんの訴えは受け入れられた。家裁の職員は書類不備を言い続けたが、戸籍問題の専門家である井戸まさえ氏が、今の法律では取りこぼされる問題について耳を傾けてくれ、立憲民主党の徳永久志議員が質問主意書を提出し、カルテ不在の当事者たちのために動いてくれた。また共産党の山添拓議員は、「これはAさんだけの問題ではない」と丁寧に向き合ってくれ、厚労省の職員との面談の場を設けてくれた。もちろんAさん自身が家裁の事務官に「私だけじゃない! こういう当事者はたくさんいるんだ!」と電話で訴え続け、結果的には「特例」として性別変更が認められることになったのだ。権利のために諦めず声をあげたAさんが出した結果が、カルテ不在のGID当事者の性別変更の前例になればと心から願う。