※写真はイメージです (GettyImages)
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 日本を代表するチャイナタウンである横浜中華街の老舗、聘珍樓(へいちんろう)横浜本店が5月15日、移転のため、惜しまれつつ閉店した。「横浜中華街のシンボル」的存在だった同店がこの地から消えることは、日本の中華料理界において一体何を意味するのか、考察してみた。(ジャーナリスト 中島 恵)

横浜中華街のシンボル的存在
老舗中華料理店が閉店

 聘珍樓(へいちんろう)といえば、横浜中華街を代表する老舗だ。創業は1884(明治17)年。同社のホームページには「日本で現存する最古の中国料理店」とあり、それを証明する当時の貴重な写真が掲載されている。

 横浜中華街発展会協同組合の資料では、当時は1階にたばこ店があり、2階がレストランだった。関東大震災や戦争の影響で店舗が倒壊したこともあったが、現会長の林康弘氏が再興し、1986(昭和61)年から中華街のメインストリートである中華街大通りで営業していた。

 エントランスの両側に竹が植えられた重厚感の漂う店構えは他の中華料理店と一線を画しており、記憶にある人も多いだろう。横浜中華街を訪れる観光客にも人気で、「横浜に来たからには、一度はあの有名な聘珍楼でおいしい広東料理を食べてみたい」という人も多い憧れの存在だった。1990年代に一世を風靡(ふうび)したフジテレビの料理番組『料理の鉄人』で人気を博した周富徳氏が、コック(総料理長)を務めていた時期もあった。

 今回の移転に伴う閉店の理由について、同社は「コロナ禍で時期が早まったが、前々から予定していた」としており、移転先や再開時期については明らかにしていない。

 移転先がまだ分からない段階ではあるが、横浜中華街のシンボル的存在である同店が中華街大通りから消え去ることは、多くの中華街ファン、そして日本の中華料理界にとって大きな出来事だ。「中華といえば横浜中華街」といった日本人の中にあるイメージが崩れていく、ある意味で象徴的な出来事でもあると思う。

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変化していた横浜中華街、コロナで大型店には逆風も