『黙殺される教師の「性暴力」』
朝日新聞出版より発売中
「黒を白にしろと言われる」「あったことをなかったことにはできない」
権力の私物化の疑惑が相次いで表面化し、国政が揺れた5年前。安倍政権が否定する「総理のご意向」と書かれた文書の存在を記者会見で告発した前川喜平・元文部科学事務次官はこう語った。
嘘が横行した近年の政治を取材するなかで印象に残った言葉の一つだが、日本社会のなかで長年、力を持つ側に黒を「白」にされ、あったことを「なかったこと」にされるという理不尽な目に遭い、告発すら難しい状況に置かれてきたのが、性暴力の被害者ではないだろうか。
一般的に多くの犯罪被害者は、犯人が特定されなくても「被害者」として社会的に保護される。ところが、性犯罪の場合は、加害者が否定し続ければ、「被害者」としての立場すら揺らいでしまう。しかも、多くは面識がある人からの加害だ。周囲の無理解が重なれば、必要な保護を受けられないばかりか、「被害者側に落ち度があった」などという攻撃の対象になり、コミュニティーから排除され、二次被害にも苦しめられる。
本書はこうした性犯罪の実態を、ある公立小学校で起きた教師による児童への性暴力事件を題材に、実在する被害者の母親の視点からまとめたものだ。
ルポルタージュでの執筆も考えたが、当事者が直面する悩みや苦しみを共有しやすくするため、あえて被害者の母親を一人称にした文体でつづった。関係者のプライバシーを保護する観点から全員を仮名にし、地名も伏せ、一部配慮を施した箇所があるが、できる限り裁判記録などに沿って構成している。
「おっぱいぎゅうされた」という告白を皮切りに、子どもたちが担任の教師から受けた深刻な被害を次々と訴えていくが、学校側は身内の教師の言い分を盾に、弥縫策を繰り返し、子どもたちの訴えにきちんと向き合わない。PTSDに苦しむ子どもの医療費として、被害者家族が「日本スポーツ振興センター」の給付金を申請した際、申請に必要な事故報告書を書こうとしない学校側とやりとりしていたときの校長や教頭の言動が象徴的だ。
「これからお話しすることは、ここだけの話にしていただきたいのですが……。これまでご迷惑をおかけしたので、私たちがお支払いしたいと思います」
自分たちの非を感じていながら、記録になる形では決して認めようとしない。結局、学校と教師が一体となって裁判でも子どもたちの訴えを否定し続け、医療的配慮を欠いた子どもたちへの尋問の末に「無罪」の判決が出ると、「虚偽告訴」という誹謗中傷のビラが地域にまかれていった。性暴力に無理解な司法システムにも支えられる形で、被害者を泣き寝入りさせ、加害者をのさばらせる構造の縮図が学校には色濃く存在する。
2021年5月、教員による児童生徒への性暴力を禁止し、懲戒免職になった教員の免許再交付を防ぐ新法が国会で成立した。2020年度に「性犯罪・性暴力等」を理由に処分された教員は公立学校だけで200人いる。こうした教員が再び教壇に立たないようにする効果があるが、被害者が泣き寝入りしたり、学校側がかたくなに事実を認めず、処分が行われなかったりしたケースには適用されない。被害の氷山の一角で、本書の題材となった事件も適用外のケースだ。
子どもたちを守る新法ができたことは、「同じような被害で苦しむ子どもが出ないように」という願いを込めて、声を上げてきた性暴力被害者やその家族などの努力の成果で第一歩となるものだが、もっとも問われているのは、子どもや性犯罪被害者の訴えを受け止める私たち一人ひとりの意識だろう。
前川氏の告発と同時期に、自らの性被害を訴えたジャーナリストの伊藤詩織さんに対しては、権力側によって公正な捜査が行われなかった疑義が生じているにもかかわらず、「枕営業の失敗」「ハニートラップを仕掛けた」などと伊藤さんを中傷する投稿がネット上になされ、自民党議員らが繰り返し「いいね」を押した。さらには、性暴力被害者への支援策を議論していた自民党の部会では「女性はいくらでもウソをつける」と発言する議員までいた。
性暴力によって傷つけられた側の人権よりも、権力を持っている加害者側が失う地位や名誉を守ることの方が重視されているあり方を変えなければ、被害者側が安心して相談をし、救済される社会にならない。学校を舞台に子どもの訴えをなきものにしようとした本書の事例を通して、こうした構造も感じ取ってほしい。