小池さんと藤田さんは二匹のかぎりなく野生に近い猫と一緒に暮らしていた。主の片割れを失った猫たちの反応がいじらしく印象深い。三五年一緒にいる私の夫は本来猫好きだが、我が家は私の好みで犬を飼い続けている。しかし、もし夫が私より先に逝ったら、「猫のしっぽ」に出てくる藤田さんのように、片手でしっぽを握って猫に行き先を案内してもらって喜んでいるだろうと連想が浮かんだ。「おれを先に殺すな」と夫が言いそうだ。
若いときの情熱的な思い出も書かれていて、こちらは恋愛小説風なところもあって楽しめる。
私ごとになるが、2013年に軽井沢町立図書館の館長になってから、毎月第二土曜日の午後二時から館長朗読会をおこなってきた。去年の四月に館長職を辞して、名称も「名誉館長朗読会」となった今も続いている。最初の年の旧盆八月に、「お盆だからお化けが帰ってくる話を」ということで、そのてのことでは右に出る者はない小池真理子さんの「流山寺」(『水無月の墓』所収)を取り上げた。企画のお手紙をさしあげたらなんと作家ご本人が来てくださり、お客さんの席に座って朗読を楽しんでいかれた。次の年の八月も小池さんのお化け話を朗読。次の年も、というわけで少しずつ近づいて、ときに藤田さんもご一緒して、朗読が終わったあと舞台上でお話をしていただくまでになった。
小池さんの短編小説は一筆書きのように休む間もなく聴き手を引っ張って行く。会場は水を打ったように静かになる。最後の一行で、止めていた息が一斉に放たれ、図書館の多目的室にため息があがる(コロナ以前の情景)。朗読者としてはお客さんの反応は痛快のひと言。毎年のお盆の朗読会は、生と死が混沌とした世界にみんな投げ込まれて訳がわからなくなり、死が身近に感じられ、一瞬だけど人間の本来持っている死の恐怖から解き放たれた。
14年前に看取った私の母の電話番号がまだ携帯に入っている。消去するとなんだか母との連絡手段がなくなってしまうような気がする。こだわっている自分が馬鹿みたいと思っていたが、小池さんのこの本は「それでいいのだ」と思わせてくれる。