朝の空気を切り裂いて天王寺駅前に走り去る南海電鉄上町線の路面電車。開業時の天王寺駅前~阿倍野には常盤通停留所が所在したが、1944年頃廃止されている。また、阿倍野は1910年の開業当初は阿部野と記載されていた。阿倍野~天王寺駅前(撮影/諸河久:1964年8月4日)

 この1801型は1949年から日立製作所他4社で32両が製造された三扉仕様の低床式大型ボギー車。全長13.7m、定員94名(座席定員40名)で、住友製ブリル77Eを装備していた。戦後の大量輸送に威力を発揮したが、後年になって前中二扉仕様に改造された。

 天王寺駅には、国鉄(現JR西日本)・関西本線、大阪環状線、阪和線、南海電気鉄道(以下南海電鉄)・天王寺支線、大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)・御堂筋線に加えて、阿倍野橋を渡った南側には近畿日本鉄道・南大阪線大阪阿部野橋駅と南海電鉄・上町線(うえまちせん)天王寺駅前停留所が所在し、大阪市電の他に4事業者6路線の鉄軌道が行き交う大阪市南部の一大ターミナルだった。ちなみに、この時代の国鉄天王寺駅は関西地方で大阪駅に次ぐ年間乗降客数を誇り、全国乗降客数ベストテンにも常時名を連ねていた。

 4系統が走った天王寺阿倍野線の前身は、1900年に天王寺南詰(後の天王寺西門前)~東天下茶屋を開業した大阪馬車鉄道だった。軌間は1067mmで、1902年に現在の住吉まで延伸し、1907年に社名を大阪電車軌道、浪花電車軌道に改名した。1908年の全線廃止後に1435mm軌間に改軌、電車線電圧600Vの電化を実施した南海鉄道に引き継がれ、1910年10月に同社上町線として天王寺西門前~住吉神社前で電車運転を開始した。

 1921年12月に天王寺西門前~天王寺駅前の区間を大阪市が買収し、天王寺阿倍野線となった。この時に天王寺公園東門前の停留所名が阿倍野橋に改称されている。

阿倍野筋を走る南海電鉄上町線の路面電車

 次のカットが阿倍野筋に敷設された南海電鉄上町線を走り去る浜寺駅前発天王寺駅前行きの路面電車で、当時の南海電鉄はこの上町線(天王寺駅前~住吉公園)の他に、阪堺線(恵美須町~浜寺駅前)と平野線(今池~平野)の三線を有していた。

 夏の朝の交通量が少ない時間帯を狙って、上町線の路面電車を撮影している。写真のモ205型は1938年に登場した全長11.82m、定員70名(座席定員28名)の低床式ボギー車。1910年製の旧電1型を自社工場で鋼体化改造している。屋根上のボーコレクターと呼ばれる集電装置はトロリーポールを改造したもので、南海独自の形態だった。画面右からは丸ハンドル仕様のマツダT1500型三輪自動車が走ってきた。背景のアーケードを連ねた阿倍野筋商店街の街並みはビル街に変貌しており、昭和の憧憬の一コマとなった。  

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