■子どもたちのために
患者派とチッソ派との確執はいまも水俣市で暮らす人々の奥底に残る。
上映実行委員会は、映画がそんな状況が少しでも和らぐきっかけとなることを願っている。
「『いまだに同じ市のなかで分断があるのはおかしい。自分たちの子どものために、変えたい』と言って実行委員会に加わったメンバーもいます」(麻生さん)
友人がチッソに勤めているメンバーもいる。
「その人の子どもがこの映画を見たらどう思うだろうか、などいろいろと考えますね。地元で上映すると、映画だけでは収まらないことも出てくるかもしれませんが、まずは作品を水俣の方々に届けたいという思いがあります。それはジョニー含め製作サイドの意向でもあります」(同)
麻生さんはハリウッドがこのテーマを描いたことで、映画を見ることへのハードルが下がることを期待する。
「『パイレーツ・オブ・カリビアン』で海賊役を演じたジョニーみたいな人がこういう題材を描くことで少しでも多くの人が、劇場に足を向けてくれればと思います」
■史実とは異なるシーもあるが
映画は1973年に水俣病第1次訴訟の判決が出るまでの患者たちの戦いを写したユージンさんの姿を描き、行動をともにした妻アイリーン・美緒子・スミスさんを女優の美波さんが演じている。
ユージンさんは第2次世界大戦中、従軍写真家として沖縄戦で重傷を負い、その後遺症から逃れるために酒が手放せない状態になっていた。それでもカメラを持つと冷静にレンズを向け、シャッターを切り続ける姿をデップは熱演する。
患者運動のリーダー役の真田広之が会議室の机の上に座り込み、チッソ社長役の國村隼と対峙するシーンも印象的だ。
クライマックスは「入浴する智子と母」と名づけられた作品を撮影する場面で、ユージンさんはチッソの工場で御用組合員から激しい暴行を受けた後、満身創痍(そうい)の包帯姿でシャッターを切る。
ただし、この場面は史実とは異なると、長年水俣病を追い続けてきた写真家・桑原史成さんは言う。