夏休みになると終日、小川に出て、コブナを獲り続けました。コブナだけではなく、雨で小川が増水すると、うなぎやなまずや、時には鯉を獲ることもありました。小川の支流に小さい人工的な滝を作って、その滝を昇ってくる鯉を4匹も獲ったことがあります。その日は大雨で、小さい滝を昇ってくる鯉が、ドロドロのミルクティのような泥水の中に、見えないはずの鯉が、底の方で、泳いでいるのが透視されたのです。この経験はその後、今日まで続く、超常現象の最初の経験でした。その後、他人には見えない死んだ人の姿が幽霊として見えるようになりました。
ある日、小川で大きい亀を獲って家に持って帰り、2、3日後に亀の腹に小刀で僕の名前を彫りつけて、元の小川に放してやりました。ところが、それから4年後、町の端を流れる大きい川へ父と魚釣りに行った時、岸辺で、一匹の大きい亀を見つけて拾い上げて、裏を返すと、それは4年前に彫った僕の名前入りの亀だったのです。小さな小川から本流の大きい川までは何キロもありますが、まるで挨拶に来たような気がしました。その亀は何度か絵にも描いていますが、亀は長命なので、きっと、今でもどこかの川底で老後を静かに暮らしているような気がしています。
僕はひとりっ子だから、友達と遊ぶよりも、家の中で、絵を描いていることが多かったのです。息をするように毎日絵を描いていました。老養父母に育てられたせいか、口ベタで、人と話すのが、ニガ手でした。母は近くの親戚の家に汽車に乗って、よく連れて行ってくれました。親戚先には4、5歳年上のセイコさんというお姉さんがいて、小川にサワガニを獲りに連れて行ってくれるのが嬉しかったけれどいつも最後はケンカになって、棒を持って泣きながら彼女を追っかけていた光景が昨日のように想い出されます。
昭和16年に第二次世界大戦が始まるのですが、まだ平和な空気が流れている頃、夏になると大阪の実父母のところによく連れて行かれました。まだ実父母だとは知らないまま、親戚の家とばかり思っていました。その家は、道一本はさんで、両側に長屋が並んでいたように記憶しています。郷里の田舎にはガスなど通っていませんが、大阪のその家にはガスの匂いがして、近代的な都会生活に憧れたものです。