その結果、毎年のように熱中症による死亡事故が起きる。
そのたびに教育委員会は、「校長判断」を強調する。その声は逃げ口上にしか聞こえないと、内田准教授は言う。
「子どもたちの命に関わることを校長に任せます、というのは教育行政として非常に問題がある。安全な環境を整えずして、部活動をさせるというのは、学校教育として、あってはならないことだと思います」
授業については、国や自治体が子どもたちの命をあずかっているという本気度が感じられる。ところが、「部活動は自主的なものだから」と、それが一気にゆるくなっていく。
「いまの学校の部活の自主性って、ある意味、無法地帯の自主性なんですよ。部活であっても学校教育として責任を持つ、という方向に転換しなければいけない。学びの場として、きちんと制度設計をして、熱中症に対するリスク管理がされなければならない」
■死亡事故が起きても「美談」に仕立てられ
部活動での熱中症の問題が根深いのは、それが決して教育行政や学校だけの問題ではなく、保護者や世間の雰囲気と深く関わっているからだ。
「死亡事故が起きたら、『なぜ誰も危ないと言わなかったのか?』とか、そういうリスク管理に話が向かえばいいんですけれど、そうはならないんです。完全に蓋をされるか、美談に仕立てられて終わっていく。『これを乗り越えていこう』『誰々さんのために頑張ろう』とか。そして、似たような死亡事故が毎年繰り返されていく」
部活動の指導者と同じメンタリティーを保護者が共有していることも多いという。
「『なんでこんなに暑い時期に練習するんだ』と訴える保護者もいます。でも、それは少数派で、『やれ』という声のほうが勝っているんです」
内田准教授がこのような問題を世間に訴えるたびに、部活動のよさを挙げる人が必ず現れる。
「でも、いくら部活のポジティブな面を強調しても死者は減りません。それはリスクのマネージメントとは関係ない話なんです。そういう人は部活のリスクに何ひとつ向き合っていない」