「鳥取砂丘、『新・砂を数える』」より 鳥取 2001年(撮影:土田ヒロミ)
「鳥取砂丘、『新・砂を数える』」より 鳥取 2001年(撮影:土田ヒロミ)

リストアップした作品のなかから、時代背景を語れるものを選ぶ

 山口さんは展示作品を選ぶ過程を説明しながら、「写真家の名前はあまり関係ないんです」と言う。それはどういうことなのか?

「写真家は大切な要素ではありますけれど、公表された作品が主体であって、それに作者がくっついている、という構図なんです。重視したのはその作品が時代背景を語れるかどうか。それを写真展の全体像を通して見なければならなかった」

 編纂委員会では、まず、作品のリストをつくり、それを10年ごと、例えば「第一期:85~94年」と区切り、「その時代を反映している作品」を選んだ。

 152点をはるかに超える作品がリストアップされたが、それでも「『足りないのは何だ』『このなかに入っていないものがあるんじゃないの』、というやりとりをずいぶんしました。それを集約して編纂までもっていくのにいちばん時間がかかりましたね。写真家だけならわりと話が早いんですけれど、評論家の方が入っているものですから、長いんですよ、議論が(笑)」。

 それを聞いて、深くうなずく。(目標を高く掲げるのであれば、そうでなくては)と思う。編纂委員会の大半のメンバーとは面識があるので、どんな雰囲気だったのかはおおよそ想像がつく。当然のことながら、そうなることを覚悟のうえで人選であり、その姿勢は賞賛に値する。

「伽藍の森を駆け抜ける学僧」 和歌山・高野山伽藍 2000年(撮影:永坂嘉光)
「伽藍の森を駆け抜ける学僧」 和歌山・高野山伽藍 2000年(撮影:永坂嘉光)

「最後まで、できねえ、と突っ張ったら、それでおしまいですから」

――意見が割れたりしませんでしたか?

「あります、あります。もう、大声でやりあったこともありました。ふつうはそんな方たちではないんですけれど、ときには声が大きくなりました」

 よく議論になったのは、「この作品は、この作家の代表作ではないだろう」ということだった。

「よく知られた代表作は古いものが圧倒的に多かったんです。でも、年代を区切った以上、そこに入らない作品は対象にすべきじゃないと取り決めをして、その枠をどこまで絞れるか、というのが編纂の仕事だったんです。みなさん自己主張の強い方が多いですけれど、最後まで、できねえ、と突っ張ったら、それでおしまいですから」

――でも、委員会で展示作品を決めたとしても、実際にそれが集まるか……。

「それも大変でしたねえ。できるだけ作家性を大事にすることを重点に置きましたから、『あの展示サイズには当てはめられない』とか、断られた方が何人かいらっしゃいます。でも、それは仕方ない。第三者からすればあまり変わらないように見えても、作者にしてみれば『これはまったく別なものだ』という話になりますから」

――「私の代表作はこれじゃない」という写真家は?

「やはり、何人か相談がありました。『同じ年代のなかで、別な作品に取り換えられないだろうか』とか。場合によって、お受けしたり、お断りしたり。そうしませんと、どこが、何を意図した編纂なのか、見えなくなってしまいますから」

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アート的な作品が増えても主たるところは「記録性」