緻密に再現するほど、現実とは違うズレが引き立つ
東京工芸大学で写真を学んでいたころは、「東京でスナップ写真を撮影したり、中判カメラを使ってみたり。感光材料もいろいろと試しました。ただ、ずっと変わらなかったのは、房総に行き続けた、ということ」。
では、なぜ、房総半島で撮っているのか?
「そこで生まれて、そこで写真を始めたから――としか言いようがないですね」
房総半島での被写体の発見、それが写真になる感動。「それはオリジナルのプリントでないと表現しえない」と言う。
会場には8×10インチ(約20×25センチ)サイズのプリントを展示する。
「このくらいサイズに引き伸ばしたときのトライXのザクザクッとした粒子の密度感がいまの自分にとっては心地いいんです」
さらに、水や砂、コンクリートなど、「被写体のマテリアルが写真のマテリアルになる」ことに快楽を感じるという。
「被写体がモノクロの銀粒子をまとってプリントに表出してくる。砂粒とかを撮影して、どの粒が粒子で、どの粒が砂なんだろうとか。その境界線があいまいになるところが面白いんです」
写したものはできるだけ、クリアに克明に再現したい一方、「緻密に再現するほど、現実とは違うズレが引き立つ。それが写真の魅力だと思っています」。
同じことの繰り返しのなかからオリジナリティーが生まれてくる
房総半島というと、2年前に亡くなった写真家・須田一政さんも後年、ここへ通っていた。特にお気に入りの場所だったのが太東崎の近くにある雀島。
「須田さんが何度も何度も同じ被写体と向き合う姿、そのあり方がずっと気になっていたんです。というのも、同じことの繰り返しのなかからオリジナリティーが生まれてくるというか、そこに写真の本質があるんじゃないか、と思うんです」
嶋田さんも同じ場所を繰り返し訪れてきた。その一つが太東崎灯台。
灯台は距離や角度、つまり「自分がどこに立つか」によってフォルムが変わってくる。
「例えば、山の上の灯台をとらえたいな、と思って、近寄っていくと、さっき見ていた灯台の姿というのはなくなるんですね」
さらに、「自分の意識をどのように置くか」によって、表面に反射する光やトーンの変化が見えてくる。
「知っていると思っていたものに、こんなに知らない部分があったんだなと。新しい世界が立ち現れていることに感動する。それは絶えないので、撮りつくすということはないんです」
(文・アサヒカメラ 米倉昭仁)
【MEMO】嶋田篤人写真展「そこ一里」
リコーイメージングスクエア東京 3月18日~4月5日