この二十数年、私が書くものには彼や父や母が頻繁に登場した。私小説を信奉していたわけではないが、手持ちの時間で創作するためには、他に選択肢がなかった。自分の闘病と母の死を作品にまとめた後に、エアポケットに落ち込んだような虚脱状態が来た。

 その中で再び私は筆を執った。還暦を過ぎ、他人ではなく自分の老いと直面する年齢になっていた。昔なら「老女」あつかいの年齢だが、まだ欲が涸(か)れる気配がない。しかし体力は落ち、ほうれい線は深くなり、着実に人生の黄昏に向かっている実感がある。

 現在の50代から60代の、ことに女性は、中年と老年のはざまで座り心地の悪い椅子に身を預けているようなものではないか。そこに親の介護がのしかかる。

 若くはないが、どう老けていったらいいのか分からない人たちを描いてみたいと思った。それが今回の『老婦人マリアンヌ鈴木の部屋』である。90歳のマリアンヌ鈴木は、母がフランス人で、父が日本人。「マリアンヌ」は共和国フランスを象徴する女性像に与えられた名前である。それに、日本で最も身近な名前、鈴木を結びつけた。彼女は主人公というよりは狂言回しで、その部屋にはさまざまな人物が入れ替わり立ち替わりする。

 マリアンヌの娘、エリは仕事盛りの50代独身。仕事と母の板挟み、という側面には私の体験が反映されている。ヘルパーとしてマリアンヌに関わり、やがてエリの友人となるモエは50代バツイチ。モエの姪がクリコ、という段階で、酒飲みな読者は微笑むはずだ。シャンパンの二大メーカーから二人の名前を頂戴した。

 モエは心の隙間を埋めるために宝石にのめり込むが、これも私の実体験に裏打ちされている。怪しい商品に手を出し、オークションに失敗し、痛い目にあっても懲りない。この本がゲラの段階でも、細部の情報を確認するために宝石店へ赴き、結局新しい指輪に手を出して、印税を目減りさせてしまった。

 主人公の一人、トチ中野は完全な創作だ。還暦だが意気軒昂で、年下夫を従え、介護事業から怪しいスピリチュアル・グッズの販売、中高年の婚活まで、精力的にこなす。悪漢小説の女版を意識して作ったキャラクターだが、書いているうちにすくすくと成長してくれた。そんな女性たちにまとわりつくダメンズが妙にリアルなのは、著者の40年にわたるダメンズ・ウォーカー歴のなせる業だろう。

 今度の作品で、私の21世紀に新たな要素が付け加わった。それは病いと老いと死にもかかわらず、快活さを失わない精神。老いるための心がまえは、これに尽きる。