「廃線になった留萌本線の増毛駅に展示するのはどうでしょう」
もう一つ、面白いと思ったのは、揚野さんがこの作品づくりの手法にたどり着くまでの道のりだ。その原型は意外にも「掛け軸」という。
実はインタビューの前、揚野さんについてインターネットで調べていると、鉄道写真が出てきた。あまりにも写真の内容が異なるので、(こりゃ、同姓同名の別人が撮ったものだな)と思った。
ところが、それを本人に話すと、「私は昔、交通新聞社という時刻表を出している会社に勤めていましたので、鉄道をテーマに留萌とかを撮っていたんです。たぶん、出てきたのはその画像ですね」と言う。
写真歴は30年ちかくなるそうで、一念発起して交通新聞社に勤めながら京都造形芸術大学大学院で現代アートとしての写真を学んだ(ちなみに、「2年目にそちらに専念するという名目で退職」)。
「私の師匠は千住博という日本画家なんです。作品は展示することを前提につくっていましたから、師匠から『どういう場所に展示するんだい』と、たずねられたとき、『廃線になった留萌本線の増毛駅の駅舎に展示するというプランはどうでしょう』と言ったんです。そうしたら、『じゃあ、そこにどう飾るの?』『掛け軸にしよう』という話になって」
ただ、「そのころはまだ鉄道の写真を引きずっていたので、掛け軸みたいに画面を縦に切り取ることにはすごく違和感があったんです」。
その気持ちはなんとなくわかる。(鉄道の人が縦長の写真を撮るのはやっぱり抵抗感、あるよなあ)と思うと、なんだか可笑しさがこみ上げくる。揚野さんは話を続ける。
「師匠は対極となるイメージ、月と太陽、陰と陽とか、異なる空間や時間を絵の中に描き込んでいるんです。私もそういった異なる時間を写真の中に写し込むにはどうしたらいいかなと思って。それで、複数枚で構成することで時間の経過を写し込めたらいいな、と。最初は掛け軸で、それを横につなげていって、屏風絵のようになった」