2020年7月、北海道白老町にアイヌ文化復興のための国立の施設「民族共生象徴空間(愛称・ウポポイ)」が開業した。ウポポイは同化により失われつつあるアイヌ文化を発信し、復興することが期待されているが、観光産業化との批判も聞かれる。昨年成立のアイヌ施策推進法で「先住民族」と認定されたアイヌと和人はいかに「共生」すべきか。アイヌの歴史や海外との制度比較、ウポポイ内の博物館展示から「共生」を考える。(東大新聞オンラインより転載)
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■法制度から見るアイヌ施策
アイヌの法的地位はどのような変遷をたどったのか。アイヌに関する法制度・政策を研究する落合研一准教授(北海道大学)は「アイヌ民族は1871年制定の戸籍に平民として組み込まれたことで近代日本の『国民』になりました」と語る。身分上、和人と区別はなくなったが、実際は「旧土人」として差別を受け、明治政府が設置した開拓使により同化を強制されたという。具体的にはアイヌの風俗の禁止と日本語習得の奨励、慣れない農業への転業などだ。北海道には和人も多く入植し、土地の没収や移住を強いられたアイヌの生活は窮乏した。
そのようなアイヌの「救済」を名目に1899年に制定されたのが北海道旧土人保護法だ。農業用地をアイヌに提供することなどを定めたが「実際に与えられた土地は多くが農業に向かず、困窮の解決にはつながりませんでした」。むしろ、狩猟採集を主に営むアイヌに農業への転業を促したことで生活は変容し、同化は一層進んだという。戦後の日本国憲法で法の下の平等が保障されたが、アイヌへの差別はなくならず、格差は現在も残る。
1980年代から国連でも先住民族の権利に関する議論が始まり、日本でも北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)がアイヌ新法案を決議したことを受けて、97年にはアイヌ文化振興法が成立。旧土人保護法は廃止された。「振興法はアイヌ文化を消滅の危機にある少数文化の一つと位置付け、アイヌ文化の保護を通じて日本の多様な文化全体の発展を図るとしました」。そして昨年制定されたアイヌ施策推進法において、アイヌが先住民族であると明記された。