祖父は釜山で生まれた。祖母は済州島で生まれた。父母は京都の生まれ。ちゃんへん.『ぼくは挑戦人』は、在日3世として1985年に生まれたプロのジャグリングパフォーマーによる痛快な自伝的エッセイだ。

 本名は金昌幸。小学校入学時から日本名を名乗るも壮絶ないじめにあった。ある日、母が校長室に怒鳴り込んだ。なんでいじめがなくならないか。<それはな、この学校で、子どもたちにとっていじめよりおもろいもんがないからや! お前、学校のトップやったら子どもたちにいじめよりおもろいもん教えたれ!>。いじめっ子に対しては<素敵な夢持ってる子はな、いじめなんてせえへんのや><強さを自慢したかったらルールのある世界で勝負せえ!>。

 お母さん、かっこいい!

 息子が生まれて3年後に夫(著者の父)を亡くし、祇園でクラブを経営していた母。ヨーヨーにハマり、ジャグリングを覚えた著者は、アメリカのコンテストに出ないかと誘われた。中学生のときだった。母は国籍を選べといった。<あんたの夢を叶えるためにはな、パスポートが必要なんや>。韓国と答えた彼は祖父母の元に連れて行かれた。母は土下座していった。<一生のお願いです! 韓国の国籍取らせて下さい!>。祖母は激怒した。<お前! 南北分断を認めるんか!>

 高校生の頃からパフォーマーとして世界中を回り、自身のルーツについてときには真剣に悩み、ときには明るく笑い飛ばす。韓国に行けば<お前パンチョッパリ(半分日本人野郎)じゃねえか!>といわれ、日本に戻ればヘイトスピーチの嵐。だが彼はデモの場にいた青年に<お前ら友達おらんのやろ>と話しかけ、その夜、飲みにいったりするのである。

<別に自分の国が2つや3つあってもいいじゃないか>という心境に至るまでの旅。学校から講演依頼もそりゃ殺到するよね。これ一冊でくだらない嫌韓病の特効薬になりそうだもの。

週刊朝日  2020年10月30日号