――作品集をまとめるにあたって、どのくらいの枚数の写真から選んだんですか?
「よく聞かれるんですけれど、数えきれないですね」
ふつう、子どもの写真というと、運動会や誕生日、家族旅行などのイベントを機会にカメラを向けることが多い。もちろん川内さんも「そういう写真は撮っています。でも、子どもの成長アルバムをつくっているわけではないので、なるべくイベント感の少ないほうがいいと思って、写真集からは意識的に省いています」。
「ふだんの日常のほうが見やすいから」と言う一方、夫の姿は少ない(けれど、大きな存在感がある)。
「今回は『家族の写真』というより、娘にフォーカスした3年間なので、夫が写っている写真はあまり積極的に使っていないんです」。それに「登場人物が多いとコンセプトがわかりにくくなってしまう」という理由もある。「親の目線で撮っているのもあるんですけれど、精査して、さじ加減で外しています」
本当に何気ない風景が効いてくる
半面、写真集には何気ない風景がたくさん盛り込まれている。子どもの姿と風景を対にした見開きページも多い。
「何気ない風景と子どもの写真を組み合わせることで世界観が広がっていく。時間の流れ、諸行無常であるということは自分の作品の基盤なので、季節の移ろいの写真とかを加えながらも、わかりやすい桜やもみじなどの写真はたくさん入れすぎないようにしています。そこがあまり立ちすぎるとずれてしまうので」
時間の流れ、という意味では「子どもはわかりやすい被写体」だと言う。「姿かたちの変化ではっきりと時間の移ろいがわかるので。そういう意味では自分と相性のいい被写体」。
ちなみに、「ふつうに『子どもの記録』として撮っているときはけっこうiPhoneで撮っていることが多いんです」。
一方、「一眼レフとかローライとか、きちんとしたカメラで撮るときは、わりと仕事のモードになっている。カメラを構えた時点で自分の中でスイッチが入っている感じ。そこでひとつの距離感が出る」。
誰でもそうだが、自分の子どもを撮るときはべったりしたものになりがちだ(特に動画の場合はそうだ)。娘さんを撮って距離感を出すのは難しくないですか? と、たずねると、即答で「全然」。
「自分の子どもを撮ってはいるんですけれど、客観的にひとつの被写体として、いろいろな景色を撮るのと変わらないような気持ちで撮っているところがある。きれいな景色に出合ったときに、ぱっとカメラを向けるみたいな気持ち。だから、なんだろう……。被写体として、撮りたいな、という『写真家のさが』みたいな」