「青春小説」の対極にある、老後を描いた「玄冬小説」として話題になった、第158回芥川賞受賞作品『おらおらでひとりいぐも』(著・若竹千佐子さん)が、11月6日(金)に田中裕子さん主演で映画化されるとあり、ふたたび注目を浴びています。
 主人公は、74歳の女性・桃子さん。東北出身の彼女は、24歳の秋、結婚が決まっていた中、故郷を身ひとつで飛び出して上京し、住み込みで働き始めます。そして同郷の男性・周造と出会い結婚。都市近郊の住宅地で2人の子どもを産んで育て上げるのです。
 このエピソードからは、夫と手を取り合い、子どもや孫たちに囲まれたにぎやかな老後を想像しますが、夫の周造は15年前に他界。現在、娘・息子とも疎遠になっており、桃子さんはひとりで生活しています。
 そして、「あいやぁ、おらの頭このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが」と冒頭にあるとおり、あるときから桃子さんの頭の中では、性別不詳、年齢不詳、使う言葉もばらばらな大勢の声が飛び交うようになったり、その声がジャズのセッションのような重低音を奏でたりするようになったというのです。
 読者としては、ちょっとした狂気を感じざるを得ませんが、当の桃子さんはおかまいなし。頭の中でジャズが聴こえればリズムに合わせて踊ったりもするし、無礼なことを言ってくる声には言い返したりもします。
 桃子さんの頭の中をそのまま垂れ流しているかのように、考えが飛んだり、感情が高ぶったり、途中でわけがわからなくなったり。そうしたところもそのまま文字にしているのです。
 たとえば「周造、どござ、逝った、おらを残して うそだべうそだべうそだべだれがうそだどいってけろやあやはあぶあぶぶぶぶぶ」「ああそうが、おらは、人恋しいのが 話し相手は生きている人に限らない。大見得を切っていだくせに 伝えって。おらがずっと考えてきたごどを話してみって」といったふうに。
 人によっては、こうした桃子さんの毎日は寂しい老後に見えるかもしれません。けれど、とらわれるものが何もない桃子さんは、思考も行動も自由で身軽。それがちょっぴりうらやましく感じてしまうのです。
 結婚したからといって、夫と一生添い遂げられるかはわからないし、子どもとうまくいかず疎遠になる可能性だってある。長い人生、「自分は自分でひとり行く」と腹をくくれたなら、また違う景色が見えてくるのかもしれません。
 ちなみに、著者の若竹さんは、55歳から小説講座に通い始め、63歳のときに処女作となる本作で芥川賞を受賞したそうです。これから老後をむかえるすべての人にとって、本書は珠玉の玄冬小説になるのではないでしょうか。今はまだ若い人でも「この先、自分はひとりで生きていくのかな」と漠然とした不安を抱えているならば、きっと心動かされるに違いありません。