台北の出版社・采實文化で打ち合わせ。日本と台湾の仕事観について議論は白熱(撮影/東川哲也)
台北の出版社・采實文化で打ち合わせ。日本と台湾の仕事観について議論は白熱(撮影/東川哲也)

■新聞の投書欄を読む日々、同級生に興味がなかった

 中学に進んだ朱野が熱心に読んだのは、新聞の投書欄だ。「無職と言われたくない」「『老人会』という呼称がイヤだ」。そんな論争がわき起こり、連日、おじいちゃんたちの多様な意見が紙面に躍っていた。いつまで「現役」を引きずるのか。ここまでこだわる肩書とは何だろう。家系に「元会社員」がいない朱野には新鮮に映った。この感情を共有しようと教室で話を振ってみても、周囲の反応は「この子は一体何を言っているんだ」とすげなかった。朱野は振り返る。

「遠足の時も班に入れてもらえなかった。でも、よくよく考えると、私自身が周りの人たちに興味がなかったのかも知れません」

「ドラゴンボール」「幽遊白書」「スラムダンク」。少年漫画誌の発売日にはコンビニで立ち読みに没頭し、そして棚に戻した。街には漫画専門の古書店が軒を連ね、漫画や本というものは中古で買い、売るものという概念が定着していた。のんびりした校風の都立高校に入学してから、朱野は京極夏彦、島田荘司の本を偏愛し、総合文芸誌「ダ・ヴィンチ」を愛読するようになる。

 ベーカリーから郵便局へ、そして神社の巫女。バイトを掛け持ちしていたある日、虫の居所の悪かった先輩に「お前はどうせワセダに行くんだろ」となじられた。周囲のバイトは皆、専門学生やヤンキーばかり。皮肉にもその時初めて、考えてもいなかった「都の西北」への憧憬が朱野に芽生える。ただ、コストを考えると、現役合格しか道はない。階下では母と反抗期の妹が夜間外出をめぐり大喧嘩している。耳をふさぎ勉強に没頭した。

 高校で所属したオーケストラ部で、共にビオラを担当した親友の女性(40)は当時をこう語る。

「『こんなの書いたんだ』と言って彼女が見せてくれたのは、自分自身の将来を書いた年表でした。すごく驚きました。『何年に早稲田入学』『何年に作家になる』って」

 年末年始、昼夜を通しバイトを続けたある晩、過労で身体を壊した。床に就いたが一睡もできない。数時間後には年賀状の仕分け作業に行かなくてはならない。呆然としていた時、帰宅して珍しく枕元に立った父親が一言、朱野に言い放った。

「その程度働いたぐらいで……。大したことない」

 おそらく父は励ましてくれた。でも、植え付けられたのは、仕事中毒への果てなき恐怖だった。

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