
■親の金で遊んでいるのか、4歳で感じた強迫観念
翻訳出版した台湾の版元「采實文化」の編集担当・何玉美(47)は「主人公が葛藤を乗り越え、仕事の効率化を模索していくさまに、国を越えて共感を覚えます。世代によって仕事観が異なるところも私たちと似ている。それに、仕事を終えてからビールを飲み、小籠包を頬張る瞬間の喜びは一緒!」。それを聞いた朱野は笑顔を見せた。
「皆、まったく同じ悩みを抱えるんですね。日本特有のものではなかった」
新宿駅から私鉄に揺られ、ほんの数分。庶民的な商店街の広がる界隈で朱野は育った。広告会社に勤務する父親は「24時間戦えますか」という往年のCMを地でゆく日々を送り、「定時で帰る」どころか土日も不在でゴルフに明け暮れていた。
「私の結婚式のスピーチで、『父親なんていうのは不要な存在ですね』なんて父は話していました。場内は笑いに包まれたのですが、うちの家族は沈黙。『冗談じゃなくその通りだ』と」(朱野)
母親はかつて写真を学んでいたが、結婚後は専業主婦に。親族はいわゆる「手に職」がある人ばかりで、父方の祖父は東京・上野で屋根の修繕工を営んでいた。借金を作り、賭けごとが好きで家族から白眼視された末に亡くなった。学資の蓄えもない朱野の父は工業高校を出てすぐに就職。文字通り「たたき上げの死ぬほど働く人」になった。
その父がある日、幼稚園に行こうと玄関で準備していた4歳の朱野を呼び止めた。
「待て、お前は何で幼稚園に行くんだ」
一瞬迷った末、朱野が「勉強しに行きます」と答えると、父は一喝した。
「違うだろ! お前はお父さんが稼いだお金で遊びに行くんだろ」
衝撃を受けた。私は親の金で遊んでいるのか。ならば、親が自分に投資した分だけ返さなければいけない。そんな強迫観念にも似た思いが、朱野の心に初めて芽生えた。そして長らく尾を引いた。
幼稚園の砂場で穴掘りに熱中していた日。気が付けば自分以外の園児が皆、消えていた。彼らはいつの間にか講堂に移動し、自分を除いた全員で鯉のぼりを作っていたのだ。その時も身構えた。「しまった、怒られる」。今さら入っていくわけにもいかない。怯えと疎外感を抱え込んだ。
友達との距離をつかめないまま過ごしたが、書く行為なら自由になれる。そう気付いたのは小学校3年生の頃のことだ。朱野は振り返る。
「童話『ながいながいペンギンの話』を読み、なぜか『私も書こう』と思い立ったんです」
当時、妹や妹の友達を捕まえて「Wink」や「光GENJI」の振り付けを教え込むべく熱中しても、その過剰な熱意を疎まれ、逃げられた。自らが書く世界の中でなら、何もかもが思い通りになる。先生にだって褒めてもらえるかも知れない。どんな話にしよう。ペンギンが旅に出る話はどうか。旅に出るなら食べ物が必要だ。魚を携えよう。何匹必要か。この日数だと何匹、1日増えれば何匹……。リアリティーを追求するうち、頭がパンクしストーリー構成どころではなくなった。