らぁめん 鴇/〒251-0052 神奈川県藤沢市藤沢1034 北原荘1階/[平日] 11:00~15:00[土・日] 11:00~15:00/19:00~22:00、月曜定休/筆者撮影
らぁめん 鴇/〒251-0052 神奈川県藤沢市藤沢1034 北原荘1階/[平日] 11:00~15:00[土・日] 11:00~15:00/19:00~22:00、月曜定休/筆者撮影

■癌で亡くなった祖父との約束

 神奈川県藤沢市にある人気店「らぁめん 鴇(とき)」。藤沢駅から徒歩6分で、交差点を曲がるとすぐに行列が見えてくる。生醤油の香りと鶏の旨味たっぷりのスープに、しなやかな自家製麺、3週間熟成させた豚バラと肉感ある内モモのチャーシューが自慢の一杯を提供する。

 店主の横山巧さん(33)は、15歳まで藤沢で少年時代を過ごす。伊豆で旅館を営む祖父のもとへ遊びに行っては、イノシシ狩りやタケノコ堀りを楽しんだ。学校の勉強よりも夢中になり、15歳で中学校に行くのをやめてからは祖父と暮らしていた。

 その後、藤沢に戻り、江の島の「らーめん 晴れる屋」でアルバイトを始める。軽い気持ちで「晴れる屋」を選んだが、店主が名店「勝丸」の新横浜ラーメン博物館店出身だったこともあり、18歳で「勝丸」に移ることになる。海老名市や三重県などの新店のオープニングスタッフとしても活躍したが、アルバイト感覚が抜けず、料理人にはなりきれていなかったと横山さんは当時を振り返る。

 そんな頃、たまたま入った厚木市のラーメン店で衝撃を受ける。「麺や 食堂」である。

 味や接客がよいだけでなく、わたがしやアイス、おみくじを取りそろえた店では、家族連れの笑顔が絶えなかった。その空間に惹きつけられた横山さんは、21歳で「麺や 食堂」に弟子入り。ラーメン職人としての日々を歩み始める。

「麺や 食堂」はまさに職人の集団だった。70歳を過ぎた先代と店主の望月貴史さん(48)を筆頭に、料理に対する心の入れ方や所作など、基本の“キ”から徹底的に叩き込まれた。今まで触れてきたものとは全く違う世界に驚きながらも、横山さんは修行を一つずつこなしていった。

「鴇」店主の横山巧さん。ラーメンに日々向き合っている(筆者撮影)
「鴇」店主の横山巧さん。ラーメンに日々向き合っている(筆者撮影)

「五感のすべてを使ってラーメンを作れと指導されました。味はもちろんですが、作り手の内面がこんなにも大切なのかと身をもって知りました。『麺や 食堂』は行動のすべてに理由がある店だったんです」(横山さん)

 さらにこの時期、横山さんは人生が変わる一杯と出会う。前述の佐々木さんのお店「天国屋」である。

 横山さんが食べたのは、「天国屋」が初めて出した無化調(化学調味料不使用)の生醤油ラーメンだった。限定メニューではあったが、生醤油に豚の煮汁を合わせたシンプルな作りながら、奥行きのある深い旨味に横山さんは大感動したという。

「自分はこういうラーメンが好きなんだ!とこの一杯を食べて気づかされたんです。こういう醤油の生きたラーメンを作りたいと強く思いました。気づいたら佐々木さんに話しかけていたんです」(横山さん)

 自分の作りたいラーメンが明確になった横山さんは、ラーメンの食べ歩きを始める。その中で、横山さんが求めている味をレギュラーで出している名店を見つける。当時横浜にあった「麺や 維新」(13年に目黒に移転)である。本連載でも以前紹介した長崎康太さんのお店だった。

横山さんの修行先だった麺屋維新の「わんたん麺」も格別だ(筆者撮影)
横山さんの修行先だった麺屋維新の「わんたん麺」も格別だ(筆者撮影)

 こうして横山さんは「麺や 食堂」から許しをもらい、26歳で「維新」に移ることになった。独立前提で入社し、横浜で修行した後は移転先の目黒店で店長として働いた。

「店主の長崎さんはラーメンに対する思いが尋常ではないほど強く、生意気で迷惑をかけっぱなしな私を根気強く育ててくださいました。『麺や 食堂』での学びもここでつながり、自信にもなりました」(横山さん)

 独立に向けて修行を続けるなか、横山さんにある知らせが入る。育ての親ともいうべき祖父が癌で倒れ、入院してしまったのだ。

「見舞いに行ったら、『早くお前のラーメンが食べたい』と言うんです。早く自分の店を見せなければと焦りもありました」(横山さん)

 急いで独立の準備を進めたが、祖父の死期が近づいていることも感じていた。そこで横山さんはスーパーで食材を買い、祖父の自宅でラーメンを作ることに。できあがったラーメンを祖父は大喜びで食べ、スープまで飲み干してくれた。独立することはそのとき伝えることができた。だが、15年5月、祖父は亡くなった。

 それから約一カ月後の6月8日、「らぁめん 鴇」はオープンした。思いを残したいと、祖父の家でテーブルとして使っていたのと同じ樹齢の三分杉を取り寄せ、特注のカウンターを作り上げた。他にも、祖父の旅館にあったお気に入りの竹の格子を再現して、カウンターの横に取り付けた。

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