その間、外部の批評者であった隈さんは、再開発の当事者になり、昨年は国立競技場だけでなく、中目黒の「スターバックスリザーブロースタリー東京」のような、グローバリズムを象徴する商業店舗にも関わるようになった。銀座や六本木ではなく、駅から徒歩15分の目黒川沿い。そこに出現したスタイリッシュなスタバの戦略店舗は、連日大賑わいで、入店するのに整理券が必要なほどだ。
無節操な再開発にさらされていた東京が、パワーを取り戻すきっかけは何だったのか。隈さんは「東京駅舎の復原と丸の内再開発」に、その発端を置く。
東京駅丸の内駅前広場からまっすぐに延びた「行幸(みゆき)通り」が、超高層ビル群を従えて皇居のお堀端に続く眺めは、都市の品格と現代性において、確かに他を圧倒するものだ。
丸の内エリアでは、超高層開発が幕を開けたゼロ年代に「空中権の移転」という、都市開発のウルトラCが編み出された。丸の内の大家である三菱地所は、エリア一帯を超高層化する際に、東京駅上の中空を未利用の容積として、その一部をJR東日本から買い取った。それをもとに東京駅に直結する超高層ビル群を建て、一帯の収益性を高めるとともに、足元ではブランドショップが並ぶ「丸の内仲通り」を商業街として整備。外から人を呼び込むことにも成功した。
「低層の東京駅と、ごてごてと飾り立てない駅前広場。建築が自己主張しないことで、逆に丸の内の余裕が際立ち、名実ともに首都の玄関口となっています」(隈さん)
(ジャーナリスト・清野由美)
※AERA 2020年1月20日号より抜粋