東京駅丸の内駅前広場/千代田区。復原した東京駅舎は12年にオープン。今回撮影した、向かい側にある「新丸の内ビルディング」7階の屋外テラスからの眺めは爽快。「駅舎を低層に抑え、がらんとした広場を設けたことが大英断。駅舎が超高層ビルだったら首都の顔を失っていたでしょう」(隈さん)(撮影/写真部・松永卓也)
東京駅丸の内駅前広場/千代田区。復原した東京駅舎は12年にオープン。今回撮影した、向かい側にある「新丸の内ビルディング」7階の屋外テラスからの眺めは爽快。「駅舎を低層に抑え、がらんとした広場を設けたことが大英断。駅舎が超高層ビルだったら首都の顔を失っていたでしょう」(隈さん)(撮影/写真部・松永卓也)

 ロンドン、パリ、ニューヨークと比べて、だだっ広いグレーの街。それが数年前までの東京だった。ところが五輪を目前に、東京の景観は劇的な変貌を遂げている。オリンピックイヤーの幕開けに、世界に遜色のない東京の顔を、ジャーナリスト・清野由美さんが建築家の隈研吾さんとともに選んだ。AERA 2020年1月20日号の記事を紹介する。

【写真】国立競技場から墨田区の意外な施設まで…隈研吾と選んだ「東京の顔」8カ所はこちら

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 目の前に1枚の絵ハガキがある。東京スカイツリー、隅田川、桜という3点セット。東京から海外の友人に送ろうと、5年前に求めたものだ。しかし、それはついぞ投函されず、机の上に放っぽりぱなしになっていた。

 なぜか。当初はこの3点セットが今的な東京だと思ったのだが、冷静に見ると、桜の可憐な花色よりも、足元にべたーと広がるグレーの街並みの方がよほど目立つ。パリなら凱旋門、ロンドンならビッグベン、シンガポールならマリーナベイ・サンズと、世界の大都市が「ここぞ」と誇る景観とは、あまりに差がありすぎる。そんな現実に興が醒めてしまったのだ。

 ところが現在。東京オリンピック・パラリンピック(東京2020)を目前にして、東京の都市景観はいたるところで劇的な変貌を遂げている。丸の内、日本橋、虎ノ門、渋谷、池袋と都心の主要エリアを筆頭に、水際から路地裏まで、数年の間に「どうだ、面白いだろ!」と、外に向けて自慢したくなるシーンが次々と登場しているのだ。

国立競技場/新宿区。2019年11月完成。12年の設計コンペで選ばれたザハ・ハディッド案が白紙撤回され、やり直しコンペで大成建設、梓設計、隈研吾建築都市設計事務所による設計・施工一括方式に決まった。「火中の栗を拾う覚悟だったが、建物の高さを当初案の約70mから50m以下までに抑えられた時、これで行けると自信が持てた」(隈さん)(撮影/写真部・小林修)
国立競技場/新宿区。2019年11月完成。12年の設計コンペで選ばれたザハ・ハディッド案が白紙撤回され、やり直しコンペで大成建設、梓設計、隈研吾建築都市設計事務所による設計・施工一括方式に決まった。「火中の栗を拾う覚悟だったが、建物の高さを当初案の約70mから50m以下までに抑えられた時、これで行けると自信が持てた」(隈さん)(撮影/写真部・小林修)

 東京2020の話題で言えば、筆頭は何といっても「国立競技場」になるだろう。

 外側の軒庇(のきひさし)や屋根の構造に木を多用した競技場は、巨大な建築ながら、周囲の環境に溶け込むというメッセージが込められている。デザインに携わった建築家の隈研吾さんは、その哲学を「負ける建築」と表し、自身のスローガンにしてきた。

国立競技場(撮影/写真部・松永卓也)
国立競技場(撮影/写真部・松永卓也)
国立競技場(撮影/写真部・松永卓也)
国立競技場(撮影/写真部・松永卓也)

 隈さんと筆者は、12年前に東京をテーマにした対話編『新・都市論TOKYO』を著したことがある。その時の東京は、規制緩和を機に、いたるところで超高層ビルがにょきにょきと立っていた。慣れ親しんだ街角や横丁が、次々と「勝つ建築」に取って代わられる。それでいて、都市としてのインパクトは北京や上海などアジアの新興都市にはるかに及ばない。そんな中途半端な東京を、私たちは「それでいいのか」と挑発したのだ。

 しかし、干支が一巡する間に五輪開催が決まり、インバウンドの爆発的な増加があったことで、東京に目覚めが訪れた。しかもその機運はバブル時代のような港区を中心としたものではなく、墨田、台東区などセントラルイーストや、足立、北区のようなノース方面と、舞台をぐっと広げるものだった。

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