晴信は、平瀬城から帰還した又七郎に、「海道一の弓取り」の異名を持つ今川義元が治める駿河、善政を敷き領民から慕われている北条氏康が治める相模との三国で和平協定を結ぶための交渉を命じる。海がない甲斐で生まれ育った晴信は、実力が未知数の若者・長尾景虎(後の上杉謙信)が統一したばかりの越後を攻めて日本海への道を確保すべく、太平洋の二大国との三国同盟を画策したのだ。武田家と今川家は既に同盟関係にあるが、駿河守護職を務めた名門の今川家と、二代前の早雲から始まる新興の北条家は、婚姻を重ねた縁戚関係があるのに何度も領土を争い仲が悪かった。又七郎は、義元の師で、計策師の太原崇孚、北条家の取次・桑名盛正、松田憲秀らしたたかな武将と交渉を始める。
武田家、今川家、北条家とも、三国同盟については家中が賛成派と反対派に分裂しており、又七郎は飲むのが難しい条件を提示してくる今川家と北条家との調整に頭を悩ませ、力で同盟を頓挫させようとする勢力への対処も迫られる。この外交戦だけでも合戦に勝るとも劣らない面白さがあるのに、甲斐では又七郎の師の駒井高白斎が陰謀をめぐらせ、敵か味方か判然としない美女・千春が又七郎の周囲に出没するなど謎が謎を呼ぶ展開も加わるので、最後まで着地点が見えないスリリングな展開が満喫できるだろう。
甲相駿三国同盟の締結を難しくしているのは、相手に一族を殺された、あるいは自分たちの土地を奪われたという歴史の怨念であり、国としてのメンツとプライド、そして経済的利益を守りたいという執念だと分かってくる。いわば条約を作る計策師は理知と合理性が必要とされるが、計策を進めたことで妻子が殺された過去があり、誰よりも平和の大切さを知る又七郎は、他国の痛みに真摯に耳を傾け、どの国の人たちも心動かされるような提案をする「情」によって、歴史を動かし戦乱に終止符を打とうとするのだ。
歴史を直視しつつも憎しみの連鎖を絶ち切る未来志向で考える重要性を説き、隣接している今川家と北条家だからこそ成り立つアイディアで三国同盟の締結に弾みをつける又七郎は、歴史と経済などの問題で近隣諸国との関係悪化が続く現代の日本が、泥沼から抜け出し共存共栄できるようになるには何が必要なのかも、教えてくれるのである。
朝日新聞出版から10月7日に発売予定