神沢杜口(かんざわとこう)が全200巻という大書『翁草(おきなぐさ)』をまとめたのも、町与力を退職してからのことだ。
仕事から解放された後に訪れる日々を、江戸の人々は、「老入(おいれ)」といっていた。いよいよ好きなことにひたすら打ち込むことができる。老入はそうした生き方へのスタート地点、そんな思いがあったようだ。
改めてつぶやいてみると「老入」は、実にいい言葉ではないか。老後というと「老いの後」。人生の残り、おつりというニュアンスが強いが、老入ならば、「老年期に入る」。現役を終えた後も人生の一つの期間ととらえ、これから一勝負できるという前向きで明るい気分も伝わってくる。
老入後、もう一勝負する!
今のシニアも、江戸の人々のように、本格的な老いを迎える前に、老入を迎えたら何をしたいか、何をしようかと心の準備をしておいたらどうだろう、とおすすめしたい。
定年が見えてきたら、それをしていれば時間がたつのも忘れて、どんどん深みに引き込まれる、そんな世界を見つけるようにしておくのだ。本当に好きだったことを学び始めるのもいい。もう一つの“ぜひとも、やりたかったこと”があれば、それに本気で取り組むのもいい。
心地よい居場所をつくった。それはそれで安寧な老いの日々だ。だが、できればそこからもう一歩踏み出し、心底夢中になれ、完全燃焼できる、そんな世界に進んでいくのだ。
私は、今日まで、できるだけ長く仕事を続けたいと、自分を駆り立て、がんばってきた。だが、最近になって、漫然とこれまでの延長線の仕事を続けるだけでなく、本当にやりたかったこと、やり残したことに取り組みたいという思いがふつふつと湧いてきている。人生100年とすれば、もう一勝負する時間はまだ十分残されている。
定年になったら、あとは老後、のんびり暮らすさ、と考えるのではもったいない。まだまだ、何かをスタートできる。
老後ではなく、老入。この言葉には、そうした新しい生き方に向かおうとするシニアの背をポンと押してくれる、そんな力が潜んでいるような気がする。