長くなる老いの日をどう生きていくか?
老後が加速をつけて長くなるにつれて、「老後をどう生きるか」本が書店にずらりと並ぶようになってきた。いつまでも心身を健やかに保つには? 老後資金の不安は? 老いとともに深まるさびしさ、心の不安はどうすればいい?
現代のシニアはそうした本を手に、それぞれ、懸命に老後を生きようとしている。ウォーキングやスクワットに励み、できるだけ外出するようにし、節約もし、友や仲間と他愛ないおしゃべりをして、今日も楽しく一日を終えた。
本書は、そうしたシニアたちへのエールを込めて、さらによい老後を過ごすための心得、ヒントをさまざまな角度からまとめたものだ。この本を一助に、ぜひ、心地のよい居場所づくりを進めていただきたい、と願ってやまない。
だがそれだけでは何かが物足りない。一日を終えるとき、ふっと浮かんでくるそこはかとないむなしさ。だが、それには気づかぬふりをしている。
そんな人も多いのではないだろうか。
本音をいえば、これだけ老後が長くなったら、日々をなんとかやり過ごすだけではとてももたないはずだと思う。
老後のない生き方!
「これからは老後のない人生を目指そう」というと、人生100年時代、老後はますます長くなるというのに、何を寝ぼけているの? という方もいるかもしれない。
だが、私は、大真面目に、“老後”のない人生を生きていきたい、生きていこう、と考えるようになっている。
病理史研究家・立川昭二氏の『江戸 老いの文化』(筑摩書房)によれば、江戸時代には「老後」という言葉はほとんど使われなかったそうだ。
当時の人々の寿命は40~50歳と短く、だから老後がなかった、のではない。
江戸では家業を継ぐのが当たり前。好きなことを仕事にできる人は限られていた。そんな事情もあったのか、現役の間は家業に勤しむ。それを果たした後は、好きなことを存分にやる。そんな生き方がよし、とされていた。
日本全図を完成させた伊能忠敬の生き方はよく知られるところ。彼は養子に入った先の家業を大きく発展させて引退。その後、若い頃からの夢だった天文学を究める道に進み、地図の完成に行き着いた。