■時勢に翻弄された新宿駅前停留所
東京市が新宿軌道線の委託経営を始めた翌1943年7月、第二次大戦の戦局悪化により、新宿東口にあった新宿駅前停留所が、駅前空襲安全対策の一環として休止されることになった。新たな折り返し場所が、新宿駅前停留所から約200m短縮された前述の大ガード下になった訳である。この停留所は開業時に「新宿」、その後「ガード下」→「角筈一丁目」と何度も改称された。休止された旧新宿駅前~角筈一丁目は翌1944年5月に廃止され、新たに角筈一丁目が新宿駅前に改称されて、新宿軌道線の起点となった。
杉並線(正式名称は都電/高円寺線・荻窪線)が1963年に廃止されてから、新宿駅西口再開発の大きな波が押し寄せた。角筈の学校群も工学院大学を除いてそれぞれ他所に移転し、角筈地区はオフィスビル街に転進していった。
1965年に広大な敷地を有する淀橋浄水場が廃止され、その機能は東村山浄水場に移転された。淀橋浄水場の跡地が新宿副都心計画の核となり、高度経済成長期の1960年代後半から「京王プラザホテル」を皮切りに「住友ビル」「三井ビル」「東京都庁舎」など、枚挙に暇がないくらい超高層ビルの建設に拍車がかかった。
「10年ひと昔」というが、新宿副都心の景観は「三年ひと昔」くらいのペースで大きく変貌した。統一された設計思想が不在で、合理性と経済性を追求した超高層ビル群。令和の時代を迎えた新宿副都心の街は、我々に何を語りかけてくれるのであろう。
■撮影:1963年4月29日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。
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