持参した機材は、スーパータクマー55mmF1.8を装着したアサヒペンタックスSVに、降雪時の照度不足に備えてトライXの純正フィルムを装填した。東京の雪は水分が多く重いので、傘をさしての撮影を想定。標準セットの一眼レフカメラ一台に露出計という軽装備。レンズフードと保護フィルター、それにハンドタオルは雪の日の必携品だ。
筆者が初めてトライXを使ったのは1965年10月だった。メーカー純正の35mm判36枚撮りのフィルム価格が500円以上した記憶がある。(カラーポジのエクタクロームXフィルムの価格は1200円だった)国産フィルムの約2.5倍の価格だったから、おいそれと常用フィルムにすることができなかった。
しかしながら、高感度(ISO400)・高解像力のトライXは、走る被写体を撮影する鉄道写真のジャンルでは、常時1/250秒から上の高速シャッターが使えることで、必須のフィルムだった。1968年頃から映画用の100フィート長巻トライXが廉価で市場に出回り、このフィルムをパトローネに装填する「デイロール」という用品も売り出された。この結果、フィルム単価が純正フィルムの約半値となり、トライXが鉄道写真の常用フィルムとして急速に普及していった。
写真の玉電はデハ80型で、戦後の復興期に登場したスマートなデザインの路面電車だ。このデハ108はデハ80型のラストナンバーで、木造車の鋼体化名義で1953年に川崎車輌で製造された。デハ80型のうち数両は、玉川線廃止後も残存した世田谷線に移管されて活躍を続けたが、デハ108は玉川線の廃止時に廃車されている。
余談であるが、玉川電気鉄道が玉川線を開業した1907年、渋谷~大橋(約1600m)には道玄坂上、大坂上と呼称された二つの停留所が所在した。第二次大戦が始まった1941年12月、双方の停留所は休止され、その中間に上通停留所が臨時開業した。一年後、道玄坂上と大坂上は廃止され、上通が正規の停留所に格上げされ、1969年の廃止まで使用された経緯がある。
■積雪の玉川通りにタイヤチェーンの音が鳴り響く
自動車の積雪走行対策の話になるが、現在では「冬タイヤ」として冬季に「スタッドレスタイヤ」に履き替えて対処されるドライバーが多いことと推察する。
撮影時の1960年代には冬タイヤの概念が無く、ノーマルタイヤにチェーンを巻いて積雪走行に対応していた。ちなみに、雪国でスパイクタイヤが普及するのは1970年代を待たねばならなかった。
この日も玉川通りを走っているのはほとんどが営業車だった。タイヤチェーンを持たないマイカーは、自粛して走らない状況だったのだろう。普段は飛ばしてくるバスやトラックが、玉電と同速の30キロくらいでゆっくり走る光景は見ものだった。
チェーンから発する「シャン・シャン・シャン」という音が、雪国の馬橇(ばそり)の鈴の音を連想させ、凍えた耳元に心地良く鳴り響いた。
■撮影:1969年3月4日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。