『古事記』に興味がなくても、イザナギとイザナミの国生みのくだりくらいは知っているだろう。
<「ねぇ! もしかしたらさ、君の足りないところを僕の余計なところで埋めたら、なんか素敵なことが起きるんじゃない?」/「えっ!? ヤんのっっ?」>とは以前、この欄でも紹介した小野寺優『ラノベ古事記』の一部である。
これが『古事記』の現代語訳の最終兵器かと思ったら、次はこう来たか。海猫沢めろんの訳で読む『古事記』は訳し方以上に、物語というか神々のキャラがこれまでとは異なる。くだんのイザナギとイザナミがからむシーンは……。
<弟は兄の身体を撫で、/「嗚呼、なんと美しい身体でありましょう」/とため息を漏らしました。兄のほうも、/「嗚呼、なんとも愛らしい身体……一体誰のものか」/と、お互いに身体をまさぐりあいました>。が、はっと我にかえった兄。<「ならぬ……兄弟でこのようなこと──高天原から見ている者がいるかも知れぬ」>
えっ? ど、どういうこと?
じつはこの『古事記』、「BL古典セレクション」の第2弾なんです。BLとは「ボーイズラブ」の略語で、男性同士の同性愛を描いた物語のこと。したがってここでは登場する神が全員男性。イザナギとイザナミは男女ではなく男同士の兄弟だし、あのアマテラスオオミカミだって男子である。
弟のスサノオが高天原に来ると知ったアマテラスは美少女の姿になって弟を迎えるし、スサノオは<いつの間に女になったのだ?>と驚きつつも、相手の正体を知って<兄だとわかっていても胸がときめいてしまう>とかいうし。何かもう危ない兄弟だらけ!
訳者によれば<神様の精力はすごいので男でも妊娠するし、男なのにヒメと呼ばれているのはかわいいからだ>。しかも<兄弟が喧嘩するのはだいたい痴情のもつれ>なのだそう。とはいえ意外に違和感なく読めるのは、『古事記』がもともとケッタイな物語だから? <私くらいの神になると>が口癖のアマテラス、私の頭の中ではいまや完全に男性です。
※週刊朝日 2019年1月18日号