今般、社会の「右傾化」を嘆く人は少なくない。しかし、なぜそうなったかと問われると……。
『「右翼」の戦後史』は『ネットと愛国』(2012年)で、いわゆる「ネット右翼」の人々に光を当てた安田浩一の最新刊だ。
右翼と聞いて思い出すのは、60年代の浅沼社会党委員長殺害事件、中央公論社社長宅襲撃事件、あとは大日本愛国党の赤尾敏の街頭演説に、大音響で存在感をアピールする街宣車かな、くらいの人が多いと思う。しかし、右翼は予想以上に多様である。たぶんに心情的な思想であるため<右翼は土台をそのままに装いのリニューアルを繰り返す>からだ。
その意味でも前半は非常におもしろかったのだが、この本はうしろにいくほど恐くなってくる。戦後、GHQによって解体を余儀なくされ、50~60年代に「反共」の砦として息を吹き返すも、70年代、左翼勢力の衰退とともにまた弱体化。それが80年代以降、装いも新たに勢力を回復する。
彼らの特徴として<街頭右翼が「制服を着た右翼」なら、こちらはどこにでもいるサラリーマン風の「背広を着た右翼」である>と1983年に出版された本(堀幸雄『戦後の右翼勢力』)は述べ、35年前のこの認識は<そのまま現在にも通用する>と安田はいう。
その代表が97年に発足した「日本会議」だ。集会、デモ、地方議会への陳情、国会議員の囲い込みなど、あらゆる手段を使って、彼らは教育基本法の改正にこぎつけ、復古的な歴史教科書の流布に成功した。<大衆運動は、数百台の街宣車にも勝るのである>。
さらにはここに在特会に代表されるネット右翼勢力が加わり、ヘイトスピーチをまき散らす。かつては歴然と差があった右翼とネトウヨの境界線も失われ、いまや差別的、排他的な気分が日本中を覆い尽くす。「制服の右翼」はもう必要ない。なぜってもう日本中が極右な空気の中にいるから!
どんな時代なんだって話だけれど、<私たちは右翼の大海原で生きている>といわれると、否定できない。息苦しいはずだよ。
※週刊朝日 2018年9月28日号