いまもこの状況は変わらず、要するに民主主義国家としては体をなさないような事態がずっと続いているのだ。この状態の中、「安保関連法」が成立し、ついに池澤さんは「これからは臥薪嘗胆(がしんしようたん)の覚悟で失地回復・捲土(けんど)重来に力を注がねばならない」と、みずから「こういう話になると漢語が増えて肩に力が入る。もっとしなやかに考えて、したたかに動かなければ」と反省しつつも、ガチガチの漢語で書かざるを得なかったのである。
そう、この5年間は、そしていまも、肩に力が入りがちな時代なのだ。不幸なことに。
そして池澤さんは、こんな気持ちにもなってしまう。
「自分の人格の中で政治的意見に関わる部分はそんなに大きくはない。本当ならばたった今の政治の惨状などから離れて、人間というものを悠然と広く見る視点に立ちたい。下品で浅ましい争いに背を向けて一人になりたい。/黙しよう。/メッセージの回路を断とう」(〈喧騒を遠く離れて〉より)
時には「回路を断」って黙想でもしなければ、やってられない。コラムが扱うのは、改憲、沖縄の基地、原発の今、熊本の震災、難民、イギリスのEU離脱、トランプ大統領の誕生、オルタナティブ・ファクトの横行するポスト・トゥルース時代と、多岐に亘る。それらを前に、誠実に提言し、心痛め、戸惑いもする生身の作家の声を、同時代のものとして聞けるのは貴重だ。
新聞には掲載されず、本書にのみ収録されたという〈ギリシャの不幸と財政ゲーム〉の中の、財政破たんしたギリシャの姿が傷ましい。「年金は原資を失って年ごとに半減・半減・半減」「自分の家なのに固定資産税が賃貸料なみにかかる」「健康保険は崩壊、病気になっても病院に行けない」「多くの国民にとって空腹は現実の脅威」……。
アベノミクスの「偽薬」効果が失せたときに私たちに襲い掛かる現実はどうなるのか。「ギリシャの痛苦はそんなに遠いところの話ではない」という著者の予言に戦慄した。