石牟礼道子さんが亡くなった。ノーベル文学賞には彼女こそふさわしいと考えていたので残念だ。そんな思いを抱えて、『近代日本一五〇年』を読む。石牟礼さんが『苦海浄土』で描いた水俣病は、近代日本を象徴する事件なのだと痛感する。
著者の山本義隆は元東大全共闘の代表。大学アカデミズムとは距離を置き、予備校講師をしながら『磁力と重力の発見』など科学史に関する重要な本を書いてきた。
副題は「科学技術総力戦体制の破綻」。山本は序文で次のように述べる。
〈明治以降の日本の近代化は、中央官庁と産業界と軍そして国策大学としての帝国大学の協働により、生産力の増強による経済成長とそのための科学技術の振興を至上の価値として進められてきた〉
その体制は敗戦によっても基本的に変わらなかった。「殖産興業・富国強兵」が「経済成長・国際競争」へ引き継がれただけ。だから熊本で水俣病が発生したときも、産業界と官庁だけでなく旧帝大の学者までぐるになって事件を隠蔽・矮小化しようとしたのだ。
近代日本の柱は軍事だった、と本書を読んで気づく。そもそも幕末の日本を驚愕させたのは欧米の軍事技術であり、まっ先に習得しようとしたのも軍事技術だった。明治新政府の中心となった薩長の藩士は、日本で唯一、欧米の軍隊と戦った経験があった。
戦後も軍需産業は引き継がれた。いまや日本の防衛予算は世界屈指だ。自民党や産業界、官庁が原発に固執するのもそれが軍事隣接だから。
だが、その欺瞞に満ちた近代も、急激な人口減少によって終わろうとしている。
※週刊朝日 2018年3月2日号