病室は豆腐のような静けさで割れない窓が一つだけある
危うい気配に満ちた静寂が見えてくるような一首だ。そんな作品からはじまる、今年の現代歌人協会賞を受賞した『キリンの子 鳥居歌集』。不穏な気分のまま続きを読むと、それらが自殺未遂の体験を歌ったものとわかる。
作者は、鳥居。筆名である。プロフィールには、〈2歳の時に両親が離婚、小学5年の時には目の前で母に自殺され、その後は養護施設での虐待、ホームレス生活などを体験した〉とある。まともに義務教育も受けられず、拾った新聞などで文字を覚え、独りで短歌を学んだらしい。
冷房をいちばん強くかけ母の体はすでに死体へ移る
鳥居はかつて自身もそこにいた「死んでいく母の現場」を、今ここで起きているように切り取る。その力量は鮮やかで、命を宿していた肉体が〈死体へ移る〉時間の流れすら再現してみせる。彼女の眼には、母との関係だけでなく、凄惨な出来事に直面した時々の光景がべったりと貼りついているのだろう。それらを冷静に細部まで見つめ、淡々と描写することで今を生きている。
短歌という表現に救われながら、救えなかった人々を歌って蘇らせる。そこには幼い鳥居もいて、元気な頃の母や祖母も登場する。死者にも鳥居にも、光に包まれた季節があったのだ──過去を引き受けて生きる切実さに、私は何度も息をのんだ。
目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ
※週刊朝日 2017年6月16日号