昨年7月に「津久井やまゆり園」で19人が殺害され、27人が重軽傷を負った相模原障害者施設殺傷事件。犯人の犯行動機とともに社会に大きな衝撃をもたらしました。
その約50年前、「障害者は不幸」「生まれてくる子どもに障害があったら可哀想」という価値観そのものを変えようとした男性がいました。「伝説の人」とも呼ばれ、脳性マヒを抱えながらも障害者の人権を訴えた「青い芝の会」元会長の故・横田弘氏です。
荒井裕樹著による本書『差別されてる自覚はあるか』によれば、日本の障害者運動の萌芽は1950年代、1970年代から1980年代は最盛期を迎えていたといいます。
歴史を紐解くと、「青い芝の会」以前の運動といえば、障害者本人ではなく、その家族や医療・福祉の専門家たちが、障害者の苦労や理解の啓蒙、福祉の充実を訴えていていました。しかし、「青い芝の会」は「ぜんぜん違った」と荒井氏は指摘します。
「『青い芝の会』の特徴は大きく二つある。一つは、『障害者で何が悪い』と、爽快なまでに開き直ったというところ。もう一つは、『障害者が生きる意味とは何か?』と、重厚な問いかけを自分にも社会にも投げかけたというところだ。」(本書より)
それも障害者本人が、「障害があって可哀想」という同情や「障害者のために」という善意の裏にある差別意識を容赦なく糾弾。街頭で演説、行政交渉、座り込みなどを行い"過激派"とまで呼ばれたほどでした。ただし本書によれば、それは自分たち障害者が生きるために必要なことであり、社会や自身に向けた"ストイック"なまでに哲学的な問いかけでもありました。
そのことがよくあらわれているのが、横田氏が作成した「青い芝の会」の運動指針ともいうべき「行動綱領」です。中でも第3項はもっとも反発を招いたともいわれる条項です。
「われらは愛と正義を否定する われらは愛と正義の持つエゴイズムを鋭く告発し、それを否定することによって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且、行動する」(本書より)
実はこの項は、母親が脳性マヒの子を殺害した実際の事件とその減刑嘆願運動を念頭に置いたものでした。施設に入れなかったのは本当に不幸だったという社会的風潮の中、介護疲れで追い詰められた母親が、わが子を愛するがゆえに将来を悲観し手にかけたとされました。当時、「殺された障害児は、あのまま不幸な人生を生きていくよりも愛する母親に殺されて幸せだった」とまで言われました。この思考に問題提起したのが横田氏でした。
「多くの人は<愛>という言葉でコーティングしてきた。少なくとも、当時の横田はそう受け止めた。そして、そんな<愛>を圧倒的多数の人たちが支持すれば、それは<正義>になる。でも、ちょっと待ってほしい。その<愛と正義>の名のもとに殺された子どもは、本当はどう思っていたのだろう?<中略>その人の、個人としての尊厳は、どうなったのだ? 障害がある人間、自分の命を生きていくという最低限の主体性も認められないのか? そんなものが<愛と正義>だと言うのなら、そんなものはいらない! というイラだちが、この項には込められている」(本書より)
横田氏の言葉や思想を著者の荒井氏が解釈していく本書。あと2か月ほどで1年を迎えようとしている相模原事件に改めて向き合うための必読書といえそうです。