『インサイド・アウト:ア・パーソナル・ヒストリー・オブ・ピンク・フロイド(ニュー・エディション)』
ニック・メイスン著
●第6章 ゼア・イズ・ノー・ダーク・サイドより
1971年の末期、バンドのモチベーションが上がったように感じられた。ロジャー(・ウォーターズ)が『メロディー・メイカー』誌に語っている。
「僕の中には確かに重圧感がある。僕たちは実際、いろんなことを恐ろしく成り行き任せにしてきた。そのせいで、気が狂いそうになるんだ。だから、グループでそれを共有しようとしているところだ」。
彼はまた、次のイギリス・ツアーをもう一つのプレッシャーと捉えていた。
「今から1月19日までに、とにかくツアーが始まるまでに、何かを完全なものにするには時間が足りない。1時間を通して本当に素晴らしいものを創り出すのはとても難しいことだ」
とはいえロジャーは、意欲的に取り組み、新しいアルバムのアウトラインを描きはじめていた。彼にはアイデアと作りかけの曲がいくつかあった。
例えば《タイム》は、歌詞をつけていなかったが、ヴァースとコーラスをすでに書き上げていた。また、7/8拍子の斬新なベース・リフを思いついてもいた。
バンドは『ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン(狂気)』の構想を練るため、セント・オーガスティンズ・ロード(カムデン)の私の家に集まり、キッチン・テーブルを囲んでミーティングを開いた。
常に顔を合わせているメンバーが、そうした話し合いの場を持つことは珍しかった。それぞれが、気分を一新して次のプロジェクトに集中する必要性を感じていたに違いない。
私たちにはロジャーの曲の他にも、以前のリハーサル・セッションの断片やより完成した素材も少なからずあった。だが、ロジャーのコンセプトを助長する一貫性のあるテーマがなかった。そして、バンドのミーティングで共通項として持ち上がったのが、ストレスという問題だった。