甲子園で大会途中で辞退せざるを得なくなった広島県の高校のニュースを読んだ。報道によれば、今年1月、禁止されていたカップラーメンを食べた1年生部員に上級生が暴力を振るったという。「カップラーメン」という、コトの始まりのあまりのささやかなことと、そしてそれが引き起こした重大な結末に言葉を失う。“そういうこと”は今回に限って突然偶発的に起きた事件というよりも、「そういうことが許される空気」が長年放置されてきた結果と考えるのが自然だからだ。それはその高校の特殊な問題などではなく、この社会がずっと片目をつむり放置してきた男性組織の病のようなものだ。

 前代未聞の不祥事での甲子園出場校の途中辞退に、戦後80年で私たちは向き合ってきていなかったものを、目の当たりにするような思いになる。

 “あの戦争”の残影はこの社会にくっきりと残っている。残っているのに、私たちは目を背けてきた。戦地の末端で殺さなければ殺される極限を生き抜いた男たちの戦後が、私たちの社会をどう形成したのか。その組織の暴力性は戦後の日本社会にどう影響を与えてきたのか。そんなことを「過去」として語るのではなく、「今」として語ることが私たちに求められているのかもしれない。

[AERA最新号はこちら]