戦後80年の夏、祖母から聞いた戦争の話を振り返っている。祖母とはたくさん話をしたつもりでいたけれど、やはりまだ足りなかった。私たちは、親しい人にほど話を聞けないし、傷つけたくないから深く聞こうともしない。祖母が女だから、祖母が戦争に行かなかったから私は祖母に戦争の話を聞けたのだ。そして祖父が戦地に行ったことのない人だからこそ、私は祖父と戦争の話ができた。もし祖父が戦争に行っていたら……私は祖父に戦争の話を聞けなかっただろう。それは日本社会全体の空気でもあったのだと思う。戦争に行った人に対してこそ、私たちは戦争の話を聞けなかった。

 戦争に「良い戦争」も「悪い戦争」もないように、軍隊に「良い軍隊」も「悪い軍隊」もないのかもしれない。それでも日本軍は特別に残酷な集団だったのではないかと、戦後の男たちが密かに語ってきたことから想像する。祖母から聞いたような話は男たちの“秘密”であったが、それは“公然”の秘密であった。戦地で日記をつけていた男たちの言葉は多くの資料として残されている。「なぜ自分は生き残り、なぜ仲間は死んだのか」を内面化し苦しみ続けた男たちの声は、様々な書籍や映画で表現されてきた。「慰安婦」のことも、被害者が名乗り出たからこそ「問題」として語られるようにはなったが、大島渚監督作品「日本春歌考」などをあげるまでもなく、それは長い間、男たちによって戦地での “良き想い出”のように語られてきた。原一男監督作品「ゆきゆきて、神軍」や大岡昇平氏の著作をあげるまでもなく、人肉を食べるまで兵士たちを追いつめた日本軍の悲惨さを、男たちは呻くように語ってきた。

 それでもそういう「秘密」を、私たちは「公」に学ぶことを避けてきたのだ。それは生き抜いた男たちを追いつめることであり、あまりに負荷が強すぎたからなのかもしれないし、男たち自身が目を背けたい過去だったのかもしれない。だけれど、そんなふうに目を背けた結果はどうだったのだろう……戦後80年の夏に考える。そういう日本の軍隊の閉鎖性は、日本の男社会にどういう影響を与えてきただろうか。強烈な上下関係、陰湿なイジメと暴力が幅を効かせ、性的な暴力と隣り合わせ、内部で起きた問題は当然のように隠蔽する体質……。それは実は、“遠い80年前に終わったこと”などではなく、今もこの社会にいたるところに顔を潜めているのではないか。

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