古賀茂明氏
古賀茂明氏
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 8月6日から15日の間は、日本人の多くが、戦争と平和についてさまざまな言論に触れ、自ら考え、中には発言する機会を持つ、日本人にとって貴重な時間だ。そこに費やされる時間とエネルギーは、日本という国を平和な国として守り続ける上で、欠くことのできないものである。

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 そこで、今回は、私なりに戦後80年に何を考えたかということを書いてみたい。

 まず、80年前、1945年8月15日、終戦の日に立ち返ろう。

 この日の国民の思いとは、「二度と戦争だけはしない、してはいけない」ということだった。それは今日まで語り継がれてきた。しかし、最近感じるのは、その言葉が、ともすれば、非常に軽々しく語られるようになってきたということだ。

 そこで、私が、もう少し強い気持ちを込めるとどうなるかと考えたのが、「何がなんでも戦争しない」という言葉だ。

 その終戦の日の国民の思いを一番よく表してくれたのが、日本国憲法だ。とりわけ、その前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という部分、そして第9条の戦争放棄と戦力不保持は、世界の中にあって、もっとも進歩的で美しいものだった。

 普通の国は、国家の最も重要な役割として、軍事力による安全保障というものを掲げている。それが世界の常識だ。しかし、日本国憲法は、その常識を捨てて、世界に類を見ない正真正銘、本物の平和主義を掲げた。これこそ、「何がなんでも戦争しない」という気持ちをそのまま文書の形にしたものではないか。

 しかも、それは、単なる理想主義の美辞麗句にとどまっていたわけではない。

 軍事力はない方が良い、小さい方が良いという考え方は、吉田ドクトリンの「軽武装・経済外交」主義、すなわち、軍事より外交、そして、軍事より生活、軍事より産業、軍事より開発という政策につながり、日本の高度経済成長と国民生活の飛躍的向上につながったのだ。

 その後、自衛隊ができ、日米安保条約という憲法とは大きく矛盾する要素も登場した。しかし、自衛隊違憲論が長らく存在し、日本の軍事大国化を抑える役割を果たした。その後も、専守防衛主義、防衛費のGDP比1%の歯止め、さらには、武器輸出三原則、非核三原則など、憲法と並びあるいは憲法を補完して、戦争を止めるさまざまな原理原則も機能してきた。

 その結果が世界第4位(一時は2位)の経済大国日本、世界に誇りうる社会保障制度を有する豊かな日本につながったのだ。

 もし日本が、普通の国のように、軍事力の増強のために巨額の資金を投入し、また軍事産業を支援する政策を続けていたら、日本の国の形は、国民が望むものとは全く異なる、醜いものになっていただろう。

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