石川文洋(いしかわ・ぶんよう) 1938年、沖縄県那覇市生まれ。65年にベトナムのサイゴン(現ホーチミン)に住み、フリーカメラマンとしてベトナム戦争を4年に渡り取材。帰国後の69年、朝日新聞社出版局のカメラマンとなり、84年に退社、再びフリーに。カンボジア、アフガニスタンなどの戦場、沖縄の基地問題など、様々な場所を取材してきた。著書に『戦場カメラマン』『報道カメラマン』(朝日文庫)、『アジアを歩く』(灰谷健次郎氏との共著・エイ文庫)、『フォト・ストーリー 沖縄の70年』(岩波新書)など多数。 (photo 大川恵実)
石川文洋(いしかわ・ぶんよう) 1938年、沖縄県那覇市生まれ。65年にベトナムのサイゴン(現ホーチミン)に住み、フリーカメラマンとしてベトナム戦争を4年に渡り取材。帰国後の69年、朝日新聞社出版局のカメラマンとなり、84年に退社、再びフリーに。カンボジア、アフガニスタンなどの戦場、沖縄の基地問題など、様々な場所を取材してきた。著書に『戦場カメラマン』『報道カメラマン』(朝日文庫)、『アジアを歩く』(灰谷健次郎氏との共著・エイ文庫)、『フォト・ストーリー 沖縄の70年』(岩波新書)など多数。 (photo 大川恵実)

今、日本は平和か

――石川さんにとって「平和」とは何ですか?

 平和とは、普通の生活ができることです。コンビニに行ったり、学校に行ったり、それが平和です。戦争だけが平和を奪うわけではありません。震災も同じです。私は93年に雲仙普賢岳が噴火したあとの被災地や、最近では能登にも行きました。災害時には普通の生活ができない。だから当たり前の生活ができること、普通の生活ができることが一番平和なんです。

――今、日本は平和でしょうか?

 外国では実際に戦争をしているし、今後も分からない。心配なことはありますね。たとえば沖縄では「台湾有事」という心配があります。これを懸念して、離島の住民を九州などに避難させる計画を立てていますが、これで果たして安全が担保されるのでしょうか。ミサイルから安全な場所なんて、今、日本のどこにもありません。自衛隊に敵基地攻撃能力を持たせようという動きもありますが、私は、軍事力の強化は戦争の抑止力にはならないと思います。核兵器を持っている国があるから核兵器を持とう、空母が強い国があるから空母を強化しようなど、キリがありません。

石川さんの取材ノート(photo 大川恵実)
石川さんの取材ノート(photo 大川恵実)

――石川さんが平和のために望むことは何ですか?

 若い人たちに現場を見てほしい、という気持ちがあります。たとえば沖縄に来て、辺野古で一緒に座り込んで、基地の緊張感や危険性を分かってほしい。座り込みをしている人はお年寄りになり、私の知り合いもたくさん亡くなりました。基地に米軍の軍用車や工事車両が入るところを見たり、あと辺野古の海には昔、サンゴもたくさんあり、ジュゴンもいましたが、今はもういません。沖縄から自宅に戻ると、沖縄の緊張と本土の緊張が違うのを感じます。そういう緊張感は行ってみないと分からないでしょうね。若い人の価値観も変わり、それを批判するつもりもありませんが、私としては、(学生は)留年をしてでも世界を見てほしいという気持ちがあります。

(聞き手・構成/AERA編集部・大川恵実)

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