ザ・バンドの中心人物だったロビー・ロバートソンの著書『TESTIMONY』がアメリカで刊行されたのは、『ザ・ラスト・ワルツ』40周年の直前ということになる昨年(2016年)11月半ば。23日には手元に届き、約500頁の分厚い本ではあったものの、一気に読み通してしまった。すでに取り組んでいたこのディラン連載の内容に関しても、ロバートソン側の視点から書かれた文章によってあらためて確認できたことが少なくない。
メモワールという言葉が似合う『TESTIMONY』では、カナダのトロントで生まれたロバートソンが、シカゴやクリーヴランドから国境を越えて飛んでくるラジオの電波を通じてブルースやロックンロールを知り、ギターを手にとった少年時代から、1976年秋の『ザ・ラスト・ワルツ』までが、独特の文章で描かれている。音楽史、文化史の観点からみてもとても価値の高い書物だと思うのだが、とりわけ強く引き込まれ、興味深く読んだのが、ボブ・ディランとの出会いと1966年ワールド・ツアーの日々が詳述されたパートだった。
アーカンソー出身のロカビリー・シンガー、ロニー・ホウキンスのバンドに十代半ばで加わって腕を磨き、さまざまな経験を積んだロバートソンは、そこで、ずっとホウキンスと活動をともにしてきたリヴォン・ヘルムや、同じカナダ出身のリック・ダンコ、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソンと出会い、63年の暮れあたりから、彼らだけで活動するようになっている。
北米各地を回る旅の毎日。若い彼らは多くのことを学び、絆を深め、互いを高めあった。演奏力、表現力、歌いこなす力には絶対の自信を持てるようになったが、しかし、なにかが足りない。ちょうどそんなころ、彼らは、以前にレコーディングを手伝ったことがあるジョン・ハモンドJr.(ジョン・ハモンドの息子)の推薦もあって、ディランからツアーへの参加を打診されたのだった。
最初のライヴは、65年8月28日、ニューヨークのフォレスト・ヒルズ・テニス・スタジアム。この時点では、あのニューポート・フォーク・フェスティヴァルでもディランのバックを務めたアル・クーパーとハーヴィ・ブルックス、そしてロバートソンとヘルムという編成だったが、「僕らのバンドでやったほうがいい」ということになってダンコ、マニュエル、ハドソンも呼ばれ、のちにザ・バンドと名乗ることになる5人とディランのツアーが正式にスタートする。しかしこのあと、観客からのブーイングはなんとか耐えられるとしても、誰かのバックで演奏することを心から楽しむことができなかったヘルムが離脱。何度かのトライアルをへてミッキー・ジョーンズをドラムスに迎えた彼らは、66年春、豪州、北欧、英国各地を回るツアーをスタートさせたのだった。
2016年11月にリリースされた『ザ・1966ライヴ・レコーディングス』は、基本的には前半がディランの弾き語り、後半がロバートソンたちとのエレクトリック・セットという内容でつづけられたそのツアーを克明に記録した36枚組のボックス・セット。本格的な機器で録音されたものから、ファンが録音したテープをそのまま音源にしたものまで、ディスクによって音質が異なっているが、それによってかえって、当時「もっともハードなライヴ」と称賛され、ビートルズやローリング・ストーンズのメンバーにも強烈な刺激を与えたといわれているツアーの凄さをリアルに伝えてくれているようだ。
「さすがに36枚は」という方には、5月26日の公演のみを収めた『ザ・リアル・ロイヤル・アルバート・ホール1966コンサート』がお薦め。マンチェスターでのライヴがRAH公演として海賊盤にされ、ディラン自身のブートレッグ・シリーズでも括弧つきのRAHというタイトルで作品化されてきたという流れを受けての、洒落の効いた「本物」だ。この音源は正式に録音されたもので、音質も驚くほどいい。ちなみに、深い意味はないが、これらの音が録音されたのは、ビートルズの来日公演とほぼ同時期のことだった。[次回2/8(水)更新予定]