ミシガン湖畔から南にシカゴのビルがみえて「右にある高いのが旧シアーズタワーです」と説明してくれた。天気が本当にいい日で湿度が低くないと、ビル群はみえない。「今日はラッキーだ」とうれしそうだった(写真/狩野喜彦)
ミシガン湖畔から南にシカゴのビルがみえて「右にある高いのが旧シアーズタワーです」と説明してくれた。天気が本当にいい日で湿度が低くないと、ビル群はみえない。「今日はラッキーだ」とうれしそうだった(写真/狩野喜彦)

 三重県松阪市射和が発祥の國分家の13代目。小さいときから「社長の息子」「将来の社長」として、配慮と忖度に囲まれて育つ。でも、ケロッグ校では誰もが遠慮なく言うし、すべて自己責任。それが頭も心も鍛え、迷いなく合理的な選択肢を選ぶという『源流』に勢いをつけた。

 留学は、父の言葉から生まれた。大学2年生の冬、7年7月生まれで二十歳のとき。「一度、外で学んだほうがいい。5年やる、何をしてもいいから5年で帰ってこい」と言われ、5年で何をするかを考えて、米国留学を決めた。

 きょうだいは姉1人で、父が息子を修業させようと思ったのは、国分グループを率い後継者にするためだろう。「5年やる」の数カ月前、9年12月に祖父が亡くなった。國分家は代々、当主になると戸籍名を「勘兵衛」へ変え、祖父は11代勘兵衛、父は2代になる。「5年やる」は、13代への第一歩だった。

 松阪市射和には住んだことはないが、旧家には法事などで何度もいった。いけば「ファミリー」と言う言葉が、胸に浮かぶ。98年6月のMBAの修了式には、両親がきてくれた。父は米国出張と重なって、出張先のウィスコンシン州から車で前日に着く。母と妻の母は、日本からきて合流した。ありがたい存在だ。

 2017年3月に社長になって9年目で5歳。12代勘兵衛で会長の父が元気だから、まだまだ社業に集中しなければいけない。エヴァンストンまた訪ねるのは、先になりそうだ。でも、ケロッグ校で得たことは、自分の経営の根幹になっている、と言い切れる。事業の運営、マーケティング、財務、組織論など、いまこそ役に立っている。

 息子と娘がいて、長女はオランダの大学院へいき、今年で終える。長男は銀行に勤めているが、自分と同じように「いずれは社長をやるのだろう」と、思っているようだ。いま25歳、自分が留学した年齢だ。留学にも、関心があるらしい。いまのうちに幅広い経験を積んでほしい。

『源流』は、息子から生まれてくる『源流』と、いつか交わるかもしれない。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2025年8月4日号

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