祖父から受け継いだ登山(写真/本人提供)
祖父から受け継いだ登山(写真/本人提供)

取引先への提案を局地戦から総合力へ新しい組織で指揮

 翌年、営業現場を希望して首都圏第一支社へいき、広域スーパーへの営業を約2年やる。その後、国分が買収した菓子卸の再建に副社長で出向し、本社へ戻って再び広域スーパーを担当した。ここまで売り手の弱い立場が続き、ケロッグ校で学んだこととは、別世界だった。

 MBAの本領を発揮したのは、2004年9月に33歳で取締役に就き、自ら新設した営業推進部の部長になったときだ。それまで国分は取引先の要望に応じて売り場の改善や販促案をつくってはいたが、部署ごとの局地戦で終わっていた。それで全部署を横串で通した営業推進部をつくり、総合的に提案していく指揮を執る。『源流』からの流れに、勢いがついた。

 71年7月に都内で生まれ、自宅は港区高輪で、両親と2歳上の姉の4人家族。小学校に入ったとき、曾祖父が亡くなった後の家を建て直して移り、目の前のマンションに祖父母がいた。小学校は慶應義塾の幼稚舎。以降も一貫して慶應で、横浜市・日吉の普通部(中学校)と高校、大学の法学部へと進む。

 2017年3月、社長兼COOに就任。父の12代勘兵衛は元気で会長兼CEOだが、経営の実務は任されている。就任する1年前、副社長時代にグループ会社を再編成する組織改革を手がけた。買収した多数の地方卸や国分本体の業務の重複をなくすため、全国七つの地域会社にまとめ、処遇の格差も埋めていく。

 父には、何も言われていない。米国の大学院で生まれた市場の実情と合理的な判断を大事にする『源流』からの流れが、川幅を広げていた。この年、前年にどん底へ落ちていた業績はV字回復へ。古参社員の組織改革への不満は、父が受け止めてくれた。

 国分は4代勘兵衛が江戸時代半ばに三重県松阪市から江戸へ出て、醤油の製造・販売に挑戦したのが始まりだ。自分も「挑戦」と言う言葉が好きだ。新しいことに挑む際、血筋を意識する。それは『源流』の流れにも合致する。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2025年8月4日号

こちらの記事もおすすめ 【下編】シカゴの郊外の「学びの部屋」甦る27年前の手応え 国分グループ本社・國分晃社長
[AERA最新号はこちら]